コラム02
せきど的仏像探訪作法・下
1 せきどの仏像探訪「7つ道具」
<帽子/防寒具>
地方寺院には駅やバス停からかなり歩かなければならないところが多く、夏は帽子、冬は防寒着を持つ。
2月半ばの寒いがよく晴れた日に愛知の財賀寺を訪れたときのこと。
財賀寺は、山中というほどではないが、山ふところに抱かれた寺である。
バス停から寺へと歩いてゆく30分足らずの間に、空がみるみるうちに真っ暗となり、雪となった。一時はかなり強く降り、民家が続く道であったのでいざとなれば助けを求めればよいという安心はあったものの、気候の急な変化には驚かされた。空を見渡すと町の方は明るく、どうやら山沿いの一角だけの雪のようであった。このことから、冬の防寒着は必要と思い知った。
<水筒/非常食/地図>
これらも、地方の寺院を訪れる際に必要なものである。
地域によってはコンビニや自販機もないことがある。駅前であってもほとんど店がなく、昼食も取れないことがあるので、困った時に食べられるものを持っているとよい。
地図はコンピュータでうちだしたもの。そのほかネットで得られる情報として、バスや鉄道の時刻表なども。
<きれいなお札/懐紙(または封筒)>
「拝観料は?」と聞いて「結構です」と言われることもあるが、「そうですか」というわけにはいかない(と私は思っている)。その時はお賽銭を入れるか、または懐紙に包んで志としてお出しする。(相場などはよく分からないが、気持ちとして)
<一眼鏡/懐中電灯>
仏像までの距離が遠かったり、暗い時のために、一眼鏡や懐中電灯を持って行く。しかし、私の経験では残念ながらあまり役に立たない。
仏像の大きさや明るさにもよるが、おおざっぱに言って距離が5メートルになるとなかなかよくは拝観できない。では一眼鏡(またはオペラグラスのようなもの)を使えばよく見えるかというと、そうでもない。それほど遠くを見るわけでないので、倍率は低く、なるべく広い視野がとれて、かつレンズの明るさが高いものがよい。しかし理想的なものを手に入れたとしても、どうしても一部分を平面的に切り取ったようにしか見えないので、まあ、補助的以上の活躍を期待するのは無理である。
懐中電灯は、肉眼では見えないほどの暗い堂内で使用するとすると、かなり強いものが必要となる。しかし、たとえ使用を許可されたとしても、人に強い明かりを向けるのが失礼なように、仏像にライトを当てるのは気が引ける。また、かなり性能がよいものであっても、どうしても明かりにムラができてしまい、かえって印象を損なうおそれがある。こちらも使うとしてもあくまで補助的にというレベルである。
2 お願いからお礼状まで
そのお寺にはじめてお電話をして拝観のお願いをするとき、大切なことが2つある。
ひとつは、そのお寺の名前をよく確認しておくことである。
間違いやすい読み方のお寺は多い。伊豆の南禅寺は「なぜんじ」、滋賀の金勝寺は「こんしょうじ」。全国にある清水寺は、「きよみずでら」と読む寺と「せいすいじ」と読む寺がある。長谷寺(「はせでら」または「ちょうこくじ」)も同様。拝観をお願いしようと勢い込んで電話したのに、相手のお寺の名前を間違えて言ってしまったりすると、なんとも格好がつかない。
もうひとつは、自分の名前をまず名乗ることである。
極端な話だが、お寺をねらった窃盗事件は多い。実際、仏像や石灯籠が盗まれたという話はよく聞く。そんな事件が近くであれば、お寺の方も警戒をされているかもしれない。まずきちんと名乗ることは、信頼して受け入れていただく最初の大切なステップである。
拝観にうかがう時間は、余裕をもって計画するのがよい。
仏像の拝観にかかる時間は、実際に行ってみないとわからない。10分で終わるときもあれば、ご住持とのお話がはずんで、2時間以上ということもある。
従って、複数の寺院をハシゴして拝観したい場合は、余裕のある時間で依頼しておき、途中時間が余って当然くらいに予定しておくといいと思う。余った時間でのんびりお寺の周囲の地域の様子など見ていると、仏像を拝観した印象と結びついて記憶に残るものである。
できれば、帰ってからお礼状を書くのがよい。特に、法事を終えたあとなどに時間をつくって迎えてくださる等、お寺の方によくしていただいた時には、ハガキでお礼状を書くようにしている。
ある寺に拝観に来た人が、断りもなく仏像の前の飾り物をどけて写真を撮ったということがあったそうだ。以後、そのお寺では仏像拝観に大変ナーバスになったという話を聞いたことがある。当然であろう。悪い振る舞いがあれば、後の人は拝観しづらくなる。逆に、お礼状を出すなどきちんとしておけば、次に拝観に行く人にとってよい影響がある。
3 バスのことなど
せきども連れも車の免許がないので、自動車によらずに仏像探訪を続けている。
鉄道、バス、レンタサイクル、徒歩、どうしようもない時にはタクシーを使いながらの旅は、いろいろと考えさせられる出来事に出くわす。そのひとつが、路線バスについてである。
県庁が置かれているような中都市では、結構バスが使える。しかしそれ以下の市・町になると、本当にバスがない。あっても本数が少ない。市によってはコミュニティバスをいくつもの路線で走らせているところもあるが、さっぱりのところもあって、その格差を感じる。
バスがなくて生活は大丈夫なのであろうか。自家用車で郊外のショッピングセンターへと出かけるのだろうが、皆が皆車を持てるわけではないし、老人になって運転ができなくなるということもあるだろうに。バスを大切にしたいと私は思う。
ところで、連れはまた違った視点で拝観している。気を引くおしゃれなお守りを開発して販売することには熱心だが、仏像にはクモの巣がかかっていたりカビの匂いがきつかったりというお寺には(そういうお寺はめったにないが)なかなか手厳しい。