7-1 「文化財のまち」河内長野市の金剛寺へ


 

百花さん 今日は河内(かわち)長野市? ってトコに行くそうだけど、長野市…とは違うのよね。

ゆいまくん 河内は旧国名で、現在の大阪府の一部なんだ。河内長野市は大阪府の南東の端にある人口10万人ぐらいの市でね、ここがすばらしいところなんだよ。

百花さん 出た! ゆいまくんの「すばらしいところ」発言。今回は信用していいのかな。
 
ゆいまくん 「今回は」って、どういうことかな。 
 河内長野駅へは南海、近鉄と2つの私鉄が通じていて、大阪への通勤圏内でありながら、自然も豊かなところなんだ。文化財がたくさんあることでも有名で、「文化財のまち」とも言われているんだよ。

百花さん 地元の方には失礼だけど、河内長野を知っている人は全国的に多くいるとは思えないから、有名って言われてもねぇ…全然ピンとこない。大体、文化財がこれだけあるからすごいとか、そんなこと考えてる人、いないと思うけどな。
 でも、ゆいまくんがそんなに言うんだから、聞いてあげる。河内長野市には文化財がどれくらいあるの?

ゆいまくん 文化財といってもいろいろあるけど、国指定(国宝と重要文化財)の建築や美術工芸品は85件にものぼるんだ! すごいよね。

百花さん すごいのかな… じゃあ、それは全国で何位なの? まさか京都、奈良には及ばないよね。そうすると、3位か4位… 5位くらいかな。

ゆいまくん 12位だよ。

百花さん 12位? ビミョーな順位だね。

ゆいまくん 全国には1700以上の市町村があるんだよ。その中で12番目なんだからね!

百花さん あー、それはすごいって言えるかもね。人口10万人の地方都市だけど、文化財がたくさん伝わっている町… でも、その割に知られていないのは、PRを怠けているんじゃないかな。

ゆいまくん そんなことはないよ。特に、河内長野市の観心寺 *、金剛寺は歴史ある名刹なんだ。かなり知られていると思うんだけどな… 1度くらい聞いたことがあるんじゃない? 

百花さん …

ゆいまくん あとね、河内長野は南にある高野山への入口なんだ。今も河内長野駅からの南海電鉄で高野山に行くことが出来るし、昔も京の都から直接でも、淀川を使って今の大阪を経由して来ても、ここ河内長野を必ず通ったんだ。

百花さん 高野山ってなんだっけ。有名な山? あ、もしかしてあれかな。最澄が開いたのが比叡山延暦寺。で、空海が開いたのが高野山金剛峯寺(金剛峰寺)って歴史の授業で暗記させられた、その高野山かな。

ゆいまくん そう! 平安時代後期には高野山への信仰が高まって、皇族や貴族による参詣が多く行われたんだ。ここまでは平坦な地形だけど、これから先は山越えになるから、参詣する貴族は河内長野で休憩し、昼食をとったりして、午後の行程に備えたらしいよ **。
 今日行くお寺、金剛寺もね、高野山への信仰とのかかわりの中でつくられたんだよ。

 


(注)
* 観心寺は河内長野市内にある真言宗の古刹。空海の高弟実慧(じちえ、実恵とも)によって開かれた。金堂本尊の如意輪観音像は、平安時代前期を代表する仏像としてよく知られている。

** 京都の皇族や貴族が高野山に参詣する際、①現在の大阪府を和歌山県に入るまで南下し、紀ノ川ぞいをさかのぼる、②奈良の寺院を経由し南西へ、③現在の大阪市または堺市から南東へ、と大きく3つのルートがあった。平安時代末期の鳥羽院、後白河院の時代には、3つめのルートが多く使われた。例えば、中山忠親の日記『山槐記』によると、忠親とその兄の忠雅が1158年9月に高野山を参詣した際には、大阪の四天王寺を未明に出発し、暗さと風雨で道に迷いながらも、昼前に河内長野に着いて食事をとり、その日のうちに山麓の高野山政所(高野山の対外的な窓口)に着いている。なお、帰路では河内長野で宿泊している。