6-5 遅くなりましたが、ここでメンバー紹介!
百花さん 脇侍の4人は、それぞれどんな人たちなの?
まず、向かって右側の小さい人は子どもかな。頭に2つ、ネジみたいなのをくっつけているのが面白いね。
ゆいまくん 善財(ぜんざい)童子だよ。『華厳経』というお経に登場し、文殊菩薩の教導を受けてさまざまな善知識(仏道に導く徳のある人)のもとを訪れ、修行を重ねていく少年なんだ。この群像中では、一行の先導をする役割を与えられているんだ。
像高は130センチ余り * 。童子ということで、小柄につくられているね。
頭の左右に見えているのは、ネジじゃないよ。これは髪を巻いているんだ。美豆良(みずら)といって、子どもであることを示す髪型なんだ。
顔をこちらに向けているけど、これは文殊菩薩を振り返っている姿なんだ。合掌しているのは、先導役をつとめながらも一刻たりとも文殊菩薩への礼拝を欠かすまいとするけなげな様子をあらわしているんだよ。
百花さん 衣が風ではたはたとたなびいているみたい。移動している様子だってよくわかるね。
でもこの童子は、しぐさはかわいらしいけど、顔つきは妙に大人びて、ちょっと残念かも。
ゆいまくん 子どもながらに仏の道を歩む固い決意が感じられて、なかなか立派な表情だと思うけどな。
百花さん 自覚をもって先頭に立っているということね。
その後ろは、大きくていかつい人ね。獅子の手綱(たずな)を持っているから、童子とともに、一行を導いているんだね。でも、ごつごつした顔だし、服装も荒ぶってない?
ゆいまくん この人は于闐(うてん)王だ。于闐とは、ホータン国 ** というシルクロードにあった仏教国のことだよ。
百花さん ということは、インドと中国の間にあった国ということね。もともとインドの仏さまだった文殊さんが今は中国の五台山に拠点を移したって考えると、案内役としてぴったりの人物ね。
ゆいまくん 先に騎獅文殊の脇侍として童子と獅子の馭者という組み合わせがあって、それにふさわしい人物として善財童子や于闐王が当てはめられたのだろうね。
于闐王像は2メートル半以上の大きさだから、善財童子像の倍くらいの像高がある。老木の幹を思わせる顔にひげまではやし、鎧を着け、大きなブーツを履いていて、いかにも武骨な雰囲気があるね。
百花さん 右手は伸ばし、右足を半歩出して、油断なく獅子の手綱を締めているみたい。
あと、下半身に下げているものは、ケモノの皮? 冠の形も不思議だし、エキゾチックっていうか、ちょっとグロ系も入っているかも。小さくて可憐な善財童子と思いっきり正反対にして、互いに違いが引き立つようにしているのね。
百花さん 向かって左側の手前は、頭を丸めているからお坊さんかな。その奥に仙人っぽい人が立っているね。
ゆいまくん あばら骨もあらわに立つ僧は仏陀波利(ぶっだばり)、その斜め後ろは大聖(だいしょう)老人 ***というんだ。
仏陀波利は北インドの僧で、三蔵(仏教の経・律・論の3つの分野に非常に精通している僧のこと)という尊称をつけてよばれる高僧なんだ。彼は、文殊菩薩を慕ってはるばるインドからこの五台山までやって来たと伝えられているんだよ。
百花さん あばらが浮き出ているだけでなく、のどの筋や、目が落ちくぼんでいるところなんか、すさまじいね。こんな人が歩いていたら、引いちゃうな。でも、それは文殊菩薩とまみえるために苦労を重ねて五台山へとようやくたどり着いたからなのね。で、文殊菩薩とは会えたの?
ゆいまくん いや、会えなかったんだ。
百花さん 会えないんかーい! 文殊、冷たいね。知恵があっても、情けはないってか。
ゆいまくん かわりに山中からこつ然と老人が現れ、人々を救うことができる大切な経典、「仏頂尊勝陀羅尼経(ぶっちょうそんしょうだらにきょう)」を持って来たか、持って来ていないならば取りに戻りなさいと言うので、仏陀波利はたちまちインドへと戻った。そして、経典を携えて中国に伝えてのち、五台山へと入っていったと伝えられているんだ。
百花さん じゃあ、最終的には会えたんだね。よかったー。でも、文殊菩薩なら、獅子に乗ってひとっ飛びじゃないの。あんなガリガリのお坊さんにもう1往復させるなんて…
ゆいまくん 仏陀波利が会った不思議な人物こそ大聖老人、後列に立つ老相の人物なんだよ。実はね、彼は文殊菩薩の化身なんだ。だから、仏陀波利は大聖老人と話した時点で、文殊菩薩と会えていたともいえるね。
百花さん えー、それじゃあ、獅子に乗った文殊菩薩のほかに、脇侍の1人も文殊菩薩ってこと? それじゃあ、「あっ、かぶった」ってことになるじゃない。
ゆいまくん それどころか、聖なる地五台山で出会う者たちは、ことごとく文殊菩薩の化身という話もあるんだ ****。
百花さん んー、この「化身」っていう話、以前にも似たようなのがあった気がするけど、どうも馴染めないんだよねー。結局同じ仏さまでした、ありがたや~みたいな。
昔の人は、人知を越えた存在がさまざまな形をとって救ってくださると信じていたってことなのね。
(注)
* 脇侍像の像高は、善財童子像は約135センチ、于闐王像は約269センチ、仏陀波離像は約187センチ。それぞれヒノキの寄木造で、玉眼を用いている。なお、大聖老人像のみは江戸時代初期の補作。像高約200センチ。
** ホータン国は、今の中国、新疆ウイグル自治区ホータン(ホタン)地区にあった仏教国。中国で珍重された玉(ぎょく)の産地でもあった。11世紀はじめにイスラームの国家に攻められ、この地域の仏教文化は滅亡した。現在は、住民の多くがイスラームである。
于闐王を優填王と書く場合があるが、これは本来は誤記と思われる。優填王ははじめて仏像をつくったという伝説上の人物で、音が同じであるため、混用されたのであろう。
*** 仏陀波離像は、文殊院の寺伝では須菩提(すぼだい)像とされる。また、大聖老人は最勝老人と書かれることもある。文殊院の寺伝では維摩居士像とされていた。
なお、大聖老人像の像内からは、住吉明神と書かれた銘文が見つかっている。江戸時代には神仏習合の思想から、善財童子、于闐王、仏陀波離、大聖老人はそれぞれ天照大神、八幡神、春日神、住吉神と結びつけて考えられることがあったらしい。
**** 唐時代の末期に五台山巡礼を果たした天台宗の円仁は、その著書『入唐求法巡礼行記』において、「五台山では、ロバを見ても、これも文殊の化現かと疑う」と述べている。
帰国後、円仁は比叡山に文殊楼を創建した(現在の堂は江戸時代前期の再建)。『山門堂舎記』などによれば、当初の文殊楼には、獅子に乗った文殊菩薩像を中心に、脇侍として4体の文殊菩薩立像(五台山の5つの峰をそれぞれ文殊と考えたものか)、さらに童子と馭者の像がまつられたとあり、獅子、童子、馭者については「化現文殊」と書かれている。
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