5-11 百花の「なるほど!国宝」メモ

 

源頼朝の義父である北条時政が一族の氏寺として建立した寺院、それが伊豆の願成就院です。衰退した時期もありましたが、現在まで存続して、創建当初の仏像も伝来しています。

時政が造仏を依頼したのが運慶です。運慶の生年はわかっていませんが、当時おそらく30歳代、まだ父の康慶のもとでの一仏師でした。しかし運慶は、これまで主流だった穏やかで優美な仏像の枠組みを大きく飛び越えた、迫真の仏像を生み出しました。それこそが願成就院の阿弥陀如来像、不動明王及び二童子像、毘沙門天像なんです。まさに国宝!

運慶がどうして新しい時代を切り開く新たな仏像をつくれたのか、さまざまに議論されています。願主の北条時政が運慶の仕事ぶりを信頼し、尊重して見守ったことも、その背景にはあったのでしょう。

願成就院の5体の仏像のうちの4体から見つかった納入品の木札を、願成就院の宝物館で見ることができます。五輪塔形をしていること、舎利を納めたあとがあること、仏の聖なる言葉(陀羅尼)が書かれていること、これらはすべて仏像を単なる像から真の仏とするための工夫と考えられます。裏面には年月日、願主の北条時政、仏師の運慶、執筆者の南無観音の名前が書かれています。

これらの仏像の力強さや革新性は、それまで想定されていた仏像史の流れの中に納まりきれないほど圧倒的で、かつては運慶作と断定することが躊躇されたほどでした。しかし、他の仏像の納入品発見などから運慶作として見直され、以後、運慶と鎌倉彫刻についての研究は飛躍的に進展して今日に至っています。