3-9 百花の「なるほど!国宝」メモ

 

平泉を中心に3代、約100年にわたり栄えた奥州藤原氏、彼らがつくらせた仏像が31体、中尊寺金色堂内に安置されています。

奥州藤原氏初代の清衡は戦乱の世を生き抜き、後半生、仏教による平和な奥州の建設にとりくみました。中尊寺金色堂は清衡がその財力とネットワークを注ぎ込んで、人生の締めくくりにつくりあげたものです。そのすばらしい空間と美しい仏像には、救いを求める強い願いがこめられているんです。

金色堂内には3つの仏壇が設置されています。中央壇は清衡がつくり、奥の壇は2代目の基衡と3代目の秀衡のために増設されて、それぞれの壇下には3人の遺体が納められました。各壇上には、阿弥陀三尊像、六地蔵像、二天王像をまつっています。この組み合わせは他のどこにも見られないこのお堂独自のものです。

長い年月の間に各壇の仏像には入れ替わりが生じてしまいましたが、各像の様式に加えて材質や構造を手がかりにして、各壇の本来の姿がわかってきました。研究の進展によって国宝指定への道が開かれました。

清衡の壇のためにつくられた仏像は端正でおごそか。もともとは都で腕をふるっていた実力ある仏師に依頼してつくらせたのでしょう。金色堂がつくられた1120年代の基準作例としても重要です。基衡の壇のための仏像は細身でキレがあり、奥州藤原氏の文化の成熟、美意識の高さがわかります。