3-5 各壇には11体の仏、3つの壇で合計33体を安置!
百花さん 壇の上にはたくさんの仏像が置かれていて、それらもみんな金色に輝いているのね。
ゆいまくん これらの仏像が2004年に国宝指定されたんだよ。
さて、それぞれの壇には何体の仏像がまつられているかな。
百花さん えっと、奥の壇はちょっと遠くて、わかりにくいけど、中央の壇ならわかりそう。真ん中は坐像で、あとの像は立っているのね。全部で…11体?
ゆいまくん そのとおり! 中央の座っている像は阿弥陀如来像で、両脇は観音菩薩像と勢至(せいし)菩薩像だから、阿弥陀三尊像だね。横に3体ずつ静かに立つのが地蔵菩薩像。手前で勇ましい様子で動きを見せているのが二天王像。三尊、六地蔵、二天王だから、数を足していく11体ということになるね。そして、左右の奥の壇もまったく同じ組み合わせで像が置かれているんだ。
百花さん 阿弥陀さまが中心だけど、ほかにもいろいろな仏像がまつられているのね。各壇11体で、合わせて33体 * ! 小さめなお堂なのに、こんなにたくさん。人口密度…じゃなくて、仏口密度(?)、高すぎ!
ゆいまくん 脇の空間を活用し、本尊以外の尊格や他から移されてきた仏像、あるいは位牌などをまつることは他のお寺でもままあることだけど、金色堂では、左右の奥の壇も中央壇とほとんど同じ大きさと豪華さでもってつくられていて **
、まつられている仏像の種類も同じ、姿形も同様なんだ。他の追随に許さない豪華さ、そして独特な仏像のまつり方、金色堂はまさに唯一無二の存在だね。
百花さん 唯一無二か。とにかく、ものすごいお堂ってことね。
すごいのはよくわかったけど、なぜ各壇、この11体の組み合わせで安置したのか、その理由はわかっているの? つくった本人は何か言ってなかったのかな。
ゆいまくん 金色堂をつくった藤原清衡や、奥の壇を加えた後継者たちが何かを書き残していたり、周囲の人が伝え聞いたりしたものはないんだ。類例があるわけでもないから、この尊像構成をどう読み解くのかはなかなか難しい。
百花さん 壇の中心が阿弥陀三尊像だから、阿弥陀さまへの信仰が根本にあるっていうことは言えるよね。そうすると、六地蔵と二天王をまつったことの意味…
地蔵は菩薩? 菩薩像は、如来の像に比べて華やかにつくられるって前回の三千院の拝観のときに聞いたけど、地蔵菩薩はそうでもないような… だいたい地蔵って何者? 昔話の「笠地蔵」とかのあの地蔵?
あと、二天王って? 鎧をつけて、怒っているみたいな。ぜんぜん仏像らしくないんですけど。
ゆいまくん (小声で)百花さん、さっきまでふらふらしていのに、回復してきたのかな。めずらしく積極的に聞いてくるな…
じゃあ、阿弥陀三尊像をはさむように安置されている六体の地蔵菩薩像と、最前列にいかめしい雰囲気で立っている二天王像。これらはどのような役割をもった仏像なのか、話してゆくよ。
まず地蔵菩薩。百花さんも気がついたように、菩薩像としてはちょっとかわった姿形をしているね。一般に菩薩像は髪を結い上げ、装身具を身につけるなど、華やかな装いでつくられるけど、地蔵菩薩像は頭をまるめた人間の僧のような姿で、衣も簡素なものをまとっている。実は、地蔵菩薩は釈迦の死後、この世界の衆生を助ける役割を担っている、大切な仏さまなんだよ。
仏教の開祖、釈迦は紀元前のインドで80歳くらいまで教えを説き、亡くなった。釈迦のあと、私たちの世界(娑婆世界)は仏さまのいない世の中になってしまったわけだ。遠い未来には弥勒(みろく)という仏が新たに登場して、釈迦の救いにもれた衆生を救済するとされている。しかし、それは何十億年も先のことだという。
百花さん 何十億年も先? そのころって地球はまだあるのかなぁ。とにかく、仏さまのいない世界でいったいどうしたらよいのかって多くの人はとても困ったということね。そこで、地蔵菩薩の登場というわけか。
ゆいまくん そういうことだね。地蔵菩薩は常に私たちのすぐ近くにあって助けてくださる菩薩であることから、人間の僧を思わせる親しみやすい姿であらわされているのだと思うよ。
百花さん だから民話の主人公とかにもなったりしているのね。
ゆいまくん ところで、私たちの住むこの世界なんだけど、6つに分かれているとされているんだ。地獄もその1つで、畜生道、餓鬼道といった世界もあり、私たちは常に生き替わり死に替わりして、苦しみの世界の中を迷い続けなければならない存在というわけだ(六道輪廻)
***。そして、地蔵菩薩はその6つの世界すべてにあらわれ、衆生を救ってくれるありがたい仏さまとして厚く信仰されてきたんだ。地蔵菩薩が6体でまつられている場合、六道のすべてで救済の活動をしていることを示しているんだよ。
百花さん あ、そういえばお寺の門の近くなんかに、石で6体のお地蔵さまが立っていたりするね。子どものときに見て、なんだか怖くなっちゃったんだよね。そんなありがたい仏さまだったのか。しまった! お地蔵さま、今までごめんなさい。
ゆいまくん 金色堂の各壇で阿弥陀三尊とともに六地蔵をまつっているのは、どこの世界に行くことになっても地蔵菩薩の助けを得て、最後には阿弥陀の浄土への往生を果たしたいという願いを形にしたものと考えることができるね。
百花さん 昔は、今の人よりもずっと極楽や地獄を信じていたんでしょうしね。藤原清衡は後半生、とても熱心に仏さまを信じてまつったんだろうけど、前半生、戦いの中で殺し合い、傷つけ合った過去を思い起こすたびに、地蔵菩薩の助けが必要なんだって強く感じていたのかもね ****。
(注)
* 当初の安置仏で現在まで伝わっているのは33体中の31体。西南壇の中尊の阿弥陀如来像は当初像が失われて、別の像が転用されて安置されている(後述)。また、西南壇の二天像の1体(向かって左側の像)も失われて、近年補われた像が置かれている。このほか、頭部が後補された像もある。
** 中央壇は横幅約230センチ、奥行き175センチ。奥の2壇はスペースの関係上、中央壇よりも横幅、奥行きとも若干小さめで、その分仏像も窮屈そうに安置されている。
*** 六道は、地獄道、餓鬼道、畜生道、阿修羅道、人道、天道の総称。地蔵菩薩はそのすべてで救済の活動を行っているとするのが六地蔵信仰だが、同様の信仰として六観音というのもあり、当時はこちらの方が広く信仰されていた。六地蔵の造像例は少なく、金色堂像は現存する貴重な作例である。
**** 清衡による創建時には阿弥陀三尊像と二天王像がまつられ、その死後、「女檀」の3人によって六地蔵像が付け加えられたとする説もある。