2-2 お庭の中のかわいいお堂、往生極楽院
百花さん 今までのどかな雰囲気だったのに、高くて立派な石垣が続いているところに来たね。えっ、ここが三千院なの? お寺というより、んー、なんだろう。お城みたいな…
ゆいまくん 大原に多くの僧が来住するようになると、延暦寺はその管理のための機関を置こうと考えた。ここは昔、延暦寺が大原の寺々を管理、監督するための出張所のような場所だったらしい。
百花さん いかめしく見えるこの雰囲気は、昔の名残りなのね。
ゆいまくん 三千院はたくさんの人が訪れる人気ある寺院なので、ずっと大原の中心だったんだろうと漠然と思っている人が多いかもしれないね。でも、かつては別のところにあったんだ。
三千院は、最澄が比叡山内に設けた一堂である円融房(えんにゅうぼう)にはじまるとされているから、長い歴史をもっている。それが山麓の坂本 * に移転し、鎌倉時代の火災を機に京都市中に移り、しかるのちにここ大原へと移転してきたんだ。
百花さん ずいぶんあちこち移って、最後にここに落ち着いたって感じなのね。
ゆいまくん 三千院という名乗りも近代に入ってからのもので、それ以前は梶井門跡(かじいもんせき)と称していたんだ。門跡というのは皇族や公家が住職をつとめた高い格式を誇った寺院を意味している。天台宗に数か寺ある門跡寺院 ** の中でも、最澄が直々に設けたとされる三千院はことに重んじられているんだよ。
百花さん 三千院の中は廊下でつながっているのね。迷子になりそう。
ゆいまくん 各お堂は渡り廊下で結ばれ、客殿や宸殿(しんでん)といった名前がついている。一般のお寺のお堂の名前とはちょっと違っていて、これもこのお寺の格式の高さを示しているんだろうね。
百花さん それぞれのお部屋、廊下、お庭も、なんか、奥ゆかしー。あっ、ここでは、お庭を見ながらお抹茶もいただけるんだね。とっても気に入ったよ(♡)。
ゆいまくん ほら、ここで座り込んでないで、先へ行くよ。
拝観順路に従ってお庭へと下りると、めざすお堂はもうすぐ先だ。
百花さん わー、なんてきれいなところだろう。京都の町から大原に着いた時には別世界だなと思ったけど、この庭はもう夢の中のようだね。で、めざすお堂は…あそこ? 美しい木立と鮮やかな苔の庭の真ん中にかわいいお堂があるね。
このお庭に出るまで三千院のお堂はずっと廊下でひとつながりになっていたのに、あのお堂だけがぽつんと庭の中にあるのね。不思議~。
ゆいまくん ここが三千院の往生極楽院(おうじょうごくらくいん)だよ。
実はね、三千院がこの場所に来た時よりもずっと昔、平安時代からこのお堂はここにあるんだ。
百花さん 大きなお寺の中に別のお堂があとからつくられることはよくあると思うけど、ここは逆なのね。おもしろーい。
ゆいまくん 三千院がこの地に来るにあたってその境内の中に取り込まれ、今では三千院内のお堂の一つとなっているけど、本来は別の寺院だったということだね。近代以前は極楽院といい、12世紀に真如房(しんにょぼう)上人 *** という方が創建したんだ。
屋根は瓦を葺かず、薄い木の板を重ねたこけら葺きとしている。軒は高くなく、建物を支える柱は細く、板の壁がめぐっている **** 。とても瀟洒なお堂だね。
百花さん 静かな修行の場を求めた僧侶にとっては、これ以上ふさわしいところはないっていう感じがします。
(注)
* 大津市北部、比叡山の東麓にあり、琵琶湖に面している地域。延暦寺の門前町として栄えた。
** 天台宗の門跡寺院の中でも青蓮院、三千院、妙法院(いずれも京都市内)は天台三門跡といわれ、特に格の高い門跡寺院とされている。
*** 吉田経房(つねふさ)の日記『吉記(きっき)』には、極楽院は真如房上人が建立し、民部卿に伝えられたと書かれる。真如房上人は高松中納言藤原実衡の妻で、夫の菩提を弔うために極楽院を建立したとする説が有力であった。しかし、別人説(比叡山の僧、真如房(坊)円昭)も出されている。民部卿は平親範(ちかのり)のこととされる。
**** ただし、外観は江戸時代に大きく改修されている。