2-11 三千院阿弥陀三尊像 関係年表

 

788年 最澄により円融房がひらかれたという。(この円融房がのち梶井門跡となり、坂本、京都と移転していく)

10世紀後半 このころから延暦寺僧で大原に隠棲するものが増加。
1132年 良忍、大原の地で亡くなる。
1148年 三千院阿弥陀三尊像の勢至菩薩像、つくられる。願主は僧実照。

1156年 延暦寺、大原に政所を置き、梶井門跡の関与のもと、諸寺を統轄させる。
1174年 吉田経房が大原の来迎院、極楽院などを訪れる。その日記(『吉記』)に、極楽院は真如房上人によって開かれ、民部卿(平親範)に相伝されたと記載。来迎院については、良仁(良忍)開創で、今は本覚房縁忍が住むところとなっていると述べられる。
1174年 極楽院において平親範、出家。戒師は来迎院所住の縁忍。

13世紀 坂本にあった梶井門跡が京都市中にに移る。
1668年 極楽院を修復。阿弥陀三尊像の修復も行われる。
1813、1826、1827年 阿弥陀三尊像の修復、行われる。

1871年 大原政所を梶井門跡の本殿と定め、三千院と改称。
1897年 往生極楽院、旧国宝(戦前の制度、現重要文化財)となる。
1902年 三千院阿弥陀三尊像、旧国宝(戦前の制度、現重要文化財)となる。
2002年 三千院阿弥陀三尊像、国宝指定
2006年 往生極楽院の舟底天井画を復元し、同年落慶の円融蔵(宝物館)で公開