1-4 いよいよ法金剛院の阿弥陀如来像に会います

礼堂。この裏手に仏殿(収蔵庫)があります。
礼堂。この裏手に仏殿(収蔵庫)があります。

百花さん 仏像について、少し分ったように思います。(小声で)分ったのはいいんだけど、ちょっと話が長いのが玉にきずかな。

ゆいまくん 何か言いましたか。

百花さん あ、何でもないから気にしないで。
 そろそろご本尊の阿弥陀如来像にお会いしたいな。どのお堂にいらっしゃるの。

ゆいまくん 池の西側に礼堂という建物があって、江戸時代に再建された旧本堂なんだ。本尊の阿弥陀如来像をはじめ、このお寺に伝わる仏像は以前はこのお堂に安置されていたけれど、戦後になってつくられた収蔵庫(文化財を保存するための保管庫)を兼ねた耐火建築の仏殿に移されている。堂内で拝観させていただけるよ。

法金剛院阿弥陀如来像
法金剛院阿弥陀如来像

百花さん ああ、こちらの仏さま…おっきな仏像ですね。お釈迦さまがとても大きかったという伝えにのっとって、こんなふうに大きくつくられているのか… 高い台の上に乗っているので、余計に大きく感じる。すごいなー(♡)。

ゆいまくん そうだね。でも、大きいということ以外ではどんな印象があるかな。お顔立ちはどうだろうね。

百花さん (小声で)わー、ゆいまくん、先生っぽく質問してくるなー。ちょっとうざいかも…
 そうだなあ… なんか不思議な感じ。人の顔と同じと言えばそうだし、でも人とは違う…うーん、仏さまのお顔って改めてじっくりと拝見するとなんだか不思議なものですね。眉や鼻筋がとても強調されている。

ゆいまくん 仏さまのお顔立ちをどうとらえたらよいか、ちょっと戸惑っているみたいだね。では、次のように考えたらどうかな。
 仏像をつくり、拝む人たちの思いとしては、仏さまは人とはまったく違う存在である、だから考えうる最高の顔だち、理想の姿であらわしたいと強く願ったに違いない。ということは、この仏さまの顔は、この仏像がつくられた院政時代の美意識の結晶というわけだ。
 目や鼻、口もと、それらは人にも備わっているパーツだけど、仏さまにはしわやたるみなどがあるわけもないから、結果として単純で思い切りのよい線や面によって構成される。この一事をもってしても、仏像の顔は、つくられた時代の美の理想を私たちに伝えてくれているということがわかるというものだ。

百花さん 今から何百年も前の人たちの気持ち、何を美しいと考え、どんな形を理想としていたのかっていうことが、この仏像を通じてわかるということなのね。すごいなあ。美意識を伝えるタイムカプセルっていうことなんですね。
 でも、目はどうなんだろう。見開かず、つぶってもいない、中途半端な感じがするけど。

ゆいまくん これはね、半眼(はんがん)といい、仏さまが深い瞑想(めいそう)に入っていることをあらわしているんだよ。

百花さん それから、これは前から気になっていたことだけど、くりくりパーマのような髪をしているのはなぜ?

ゆいまくん これは螺髪(らほつ)だよ。長い髪が右回りに渦を巻いて粒のように見えているものなんだ。ほかにも、額につけられた水晶は白い巻毛(白毫、びゃくごう)をあらわし、また、頭頂部の盛り上がり(肉髻、にくけい)や、全身が金色に輝いている(金色相、こんじきそう)ことなど、これらはみんな、仏さまの姿をあらわす際の約束事なんだよ。
 こうした仏さまの姿は、はるばるインドから伝わってきたものなので、本来エキゾチックな要素であるわけなんだけど、この仏像はとても優美で穏やかな姿、つまり平安時代の貴族たちが好むようなものに整え直されているということができるよね。

百花さん 座っている姿もまた、キマっている気がする。ゆったりと座っていながら、堂々とした様子でもあるって感じ。姿勢がいいし、上半身が大きくてたくましい。足を組んで、手はお腹の前で合わせているんだね。

ゆいまくん 左右の足をしっかりと組み合わせた結跏趺坐(けっかふざ)という座り方で、お腹の前で手を組む姿勢は坐禅と同じだね。組んだ足は左右にしっかりと張って、これが像に安定感をもたらしているんだ。 
 じゃあ、次は手に注目だよ。手や指をどんな形にしているのかを印相(いんぞう)というんだ。その仏像がどんな印相をあらわしているのかは、とても重要なんだよ。
 この仏像のようにお腹の前で両方の手を組み合わせる印相を定印(じょういん)といい、仏さまが深い瞑想の中にあることを意味しているんだ。指は、親指と人差し指で丸印になるようにしているだろう。阿弥陀如来像はこのように親指と別の指で丸をつくる姿でつくられるんだ。如来像はシンプルな姿をしているのが基本なので、そのため見分けにくいけど、指の丸印でこの像は阿弥陀如来像なんだってわかるんだよ(ただし、奈良時代以前の古像など、そうでない例もある)。
 ところで、定印の阿弥陀如来像の代表作といえば、それは京都府宇治市にある平等院鳳凰堂の本尊の阿弥陀如来像なんだけど、百花さんは行ったことがあるって言ってたよね。

百花さん ハイ、修学旅行で行きました! 近くで食べた抹茶アイスがめっちゃおいしかったなあ… あ、仏像を拝観させていただいたことも覚えてるよ、もちろん。池をはさんで阿弥陀さまの美しいお堂があったっけ。
 あれ、この法金剛院も池があって阿弥陀堂がつくられていたんだよね。そういえば、阿弥陀さまも雰囲気が似ているような気がする。何か関係があったりするのかな。

ゆいまくん 平等院鳳凰堂の阿弥陀如来像の作者は、11世紀半ばに活躍した定朝(じょうちょう)という仏師なんだよ。定朝は日本の仏像彫刻の歴史の中でももっとも名高い仏師の1人で、当時の支配層が好んだやさしく、美しい姿の仏像の姿をつくり、また技法の上でも寄木造を完成させた人物と考えられているんだ。
 法金剛院の阿弥陀如来像がつくられたのは、平等院鳳凰堂の像がつくられてから80年くらい後なんだけど、堂々としてかつ穏やかな姿、衣の襞(ひだ)が流れるように優美な線を描いている様子など、定朝作の仏像の特徴を引き継いでいると言える。こうした仏像のことを定朝様(定朝様式)の仏像というんだ。

百花さん 平安時代の貴族たちが理想とする救いの姿を形にした本家本元は仏師定朝だったのですね。そして、法金剛院の阿弥陀如来像はその様式を継承しているし、空間全体で極楽浄土のさまをあらわすという形も受け継いでいるということなのね。

ゆいまくん ずいぶんよくわかってきたじゃないか。
 でもね、平等院鳳凰堂の像と法金剛院の像は共通するところが多いのは事実だけど、相違点もあるんだ。たとえば顔立ち。平等院の像はほおが強く張って、本当にまん丸な顔立ちをしているんだけど、法金剛院の像はそれほどは丸まるとしたお顔ではなく、むしろやや四角張っている印象があるよね。
 定朝作の仏像はこの院政期の時代、まさに仏像の規範のようになっていったので、それを忠実に継承したいという意識がつくらせる側にも仏師の側にも共通してあったんだ。しかし同時に、定朝仏をモデルとしながらも独自性の加味、あるいは定朝から数十年たつことで自然に変化してきた部分もあるからか、まったく同じということはないんだ。
 膝頭を少し高くし、ふくらはぎを自然な盛り上がりであらわしたりするのも、この仏像ならではの特色であるように思うよ。

百花さん 法金剛院の阿弥陀如来像は定朝様の仏像だけど、コピーのようにまったく同じというのではないのね。

 

法金剛院の阿弥陀如来像の顔立ち
法金剛院の阿弥陀如来像の顔立ち