大日寺の阿弥陀如来像
鎌倉時代前期の在銘彫刻
住所
倉吉市桜354
訪問日
2009年8月2日
拝観までの道
倉吉駅から日ノ丸バス高城線で約35分、「桜」下車、西へ徒歩5分。ただしバスの本数は少ない。
→ 日ノ丸バス
拝観料
志納
お寺や仏像のいわれ
倉吉の市街を西に抜けた田園地帯は、古来より地域の中心であったらしい。弥生から古墳時代の遺跡や伯耆国分寺の跡などが点在し、国府(こう)という地名も残る。その近くを流れる国府川という小さな川をさかのぼったところに大日寺はある。
創建の事情等は残念ながら不詳だが、かつてはかなりの大寺であったようである。旧境内地には鎌倉時代の五輪塔などの石造物群が残り、また平安時代の瓦経(かわらきょう、がきょう、粘土板に経文を刻み焼成したもの)も多数発見されている。
本尊は鎌倉時代前期の銘のある阿弥陀如来像で、ほかに平安時代と思われる古仏や破損仏も伝来している。
拝観の環境
阿弥陀如来像は収蔵庫に安置される。
事前にお願いをしておくと収蔵庫内で近くから拝観できる。
仏像の印象
阿弥陀如来像は像高110センチ強の坐像で、ヒノキの寄木造、彫眼。
指が失われ、表面も後補の漆箔がはがれてまだらのようになっているところが見えるなど、保存状態がややよくないこともあって、第一印象はそれほででもなかったが、じっくり拝観させていただいていると、次第に強く心に響いてくる仏像である。
特に顔がすばらしい。鎌倉時代の仏像らしく理知的な顔つきである。仏像でありながら、あまりに人を越えたところにある表情でない。微笑みを浮かべて、拝観にやってきた者の言葉に耳を傾けているような、身近にいらっしゃる方という感じで、親しみを覚える。姿勢よく、特に顔を傾けているわけではないのに、すこし屈んで仰ぎ見ると、さらに視線が合うように感じる。
両膝の丸みの量感もすばらしく、下半身の衣の襞(ひだ)も力強い。
螺髪は大粒で、上半身は高いように感じる。左手が膝の上でなく、高い位置であるのも個性的である。
像内背面に墨書銘があり、1226年の年が記されていて、造像年を示すと考えられている。仏師名は書かれていない。年のあと、「金箔三百三十枚」等と読めるほかは判読不明だが、金箔を寄進した檀越の名前が書かれていたのかもしれない。
その他
本堂内に古様な薬師如来立像、天部立像、十一面観音立像が安置され、自由に拝観できる。
無量寿殿(阿弥陀堂)には古仏が何躰か安置され、覗くことができるが、痛々しく破損がすすんでいる。
大日寺から東高尾観音寺へ
大日寺の北、直線距離にして1キロ半ほどのところに東高尾観音寺(北栄町)がある。このお寺の仏像は大日寺から移されてきたという伝承があり、合わせて訪れるとよい。徒歩で45分くらい。自治体の境をこえて隣の北栄町に入る道で、尾根を越えて行く。
大日寺から「桜」バス停の先まで戻って、そこから北西へと登って行く。桜ため池という大きな池を過ぎ、今度は北東の方へくねくねと曲がる道を下って行く。下りきったところに、東高尾観音水という湧き水がある。その先を左に行くとまもなく東高尾観音寺に着く。
さらに知りたい時は…
「秘仏巡礼」10(『大法輪』74巻10号)、白木利幸、2007年10月
『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇』4、中央公論美術出版、2006年
『鳥取県の仏像調査報告書』、鳥取県立博物館、2004年