定福寺の六地蔵像
豊かな表情のお地蔵さま
住所
大豊町粟生158
訪問日
2009年7月20日
この仏像の姿(外部リンク)
拝観までの道
定福寺(じょうふくじ)は土讃本線豊永(とよなが)駅の東南、徒歩25分から30分のところにある。駅から案内板が随所にあって、分かりやすい。
宝物館は日中開館。ご住職の体があいていると、ご説明いただける。
拝観料
志納
お寺のいわれ
古代草創と伝えるが、不詳。
史料からは室町時代以後の歴史を追うことができる。江戸時代には藩主山内公の尊崇厚く、現本堂も江戸後期、9代藩主豊雍(とよちか)によって再建された。
拝観の環境
多くの仏像が伝来するが、中でも六地蔵像が有名で、NHKの「にっぽん 心の仏像100選」(2007年放映)でも紹介された。
この仏像は宝物館に安置され、ガラスごしだが、明るい照明の下、間近に拝観できる。
仏像の印象
6躰の地蔵菩薩立像は宝物館の壁付きケース内に1列に安置されている。
像高は各110センチ余り、ヒノキの一木造、彫眼で、鎌倉時代の作と考えられている。
素地の仕上げで、衣文線も単純化した素朴な像である。手の構え方や顔つき、顔の向きなど、それぞれ異なるが、頭部が大きく、無邪気なこどものような表情である点は共通する。
平安時代後期、地蔵菩薩が六道すべての衆生を救うという信仰が発達し、6躰の地蔵像を造立することが行われた。当時の貴族の日記にも、「等身地蔵六躰」といった記述が見える。しかし、実際に今日まで伝わる六地蔵像の作例は乏しく、中尊寺金色堂内の六地蔵像とこの定福寺の像くらいしかない。そして、中尊寺像が6躰すべて同じ姿で表されているのに対し、このお寺の六地蔵像はそれぞれ異なった姿で、また顔も笑っているようにあらわされているものもあるなど、非常に豊かな造形が見られる。たいへんに貴重な遺例といえる。
平安末期成立の『今昔物語集』には地蔵菩薩が子どもの姿で現れる説話が多く収録されていて、そうした姿を反映した造形であるのかもしれない。
本堂には同じ大豊町内の豊楽寺の仏像に似た阿弥陀、薬師、地蔵像が安置されている。こちらも自由に拝観できるが、像までの距離があり、堂内は暗く、あまりよく拝観できないのが残念である。
その他1
この仏像は、2014年〜2015年にかけて東京の多摩美術大学美術館で行われた展覧会「祈りの道へ」に出陳され、その際に年輪年代法によって造像年が推定された。本展の学芸員さんのブログによれば、一番新しい年輪で1185年という結果が出たという。木の一番表面の部分は使われていないので、それに数年ないし十数年プラスした年に伐採された材であるということになる。
また、6躰の像のうち4躰は年輪が一致したので、同一の材から彫り出されていること、そして四国の年輪のパターンとは必ずしも一致しないので、どこからか移入されたものであることがわかったそうだ。
その他2
ご住職は非常に精力的な方で、仏像を修理し、宝物館を開くかたわら、四国山地で用いられてきた林業の道具などの民俗資料を収集も進めてこられた。その資料はかつて寺から町に寄進され、お寺のすぐ脇の町の資料館で保管、公開されていたが、建物が老朽化したため、2015年秋の開館を目指し、現在改築中とのこと。
さらに知りたい時は…
『祈りの道へ』(展覧会図録)、多摩美術大学美術館、2014年
『美術の中のこどもたち』(展覧会図録)、 東京国立博物館、2001年
『定福寺の歴史と文化財』、前田和男、定福寺発行、1999年
『地蔵菩薩像』(『日本の美術』239)、松島健、至文堂、1986年4月