法華寺の聖観音像
すらりと細身の美仏
住所
焼津市花沢3
訪問日
2008年3月2日
この仏像の姿は(外部リンク)
拝観までの道
法華寺はJR焼津駅の北東、花沢の里の奥にある。
花沢の里はいにしえの道の面影を残す静かな村里である。石垣や竹垣、農家があるばかりで、みやげ物屋もレストランもない、現代ではめずらしい観光地である。
交通は、焼津駅前(南口)の1番バス乗り場から、焼津市の自主運行バス(焼津循環線)に乗車し、「高草山石脇入口」で降りる。回り方によって、「ゆりかもめ」というバスと「さつき」というバスがある(「ゆりかもめ」では12分くらい、「さつき」では22分くらいの乗車)。ともに1〜2時間に1本程度運行されている。
「高草山石脇入口」バス停からすぐのところに、花沢の里への案内図と公衆トイレがある。そこからは坂道である。特に歩きはじめのところが急坂だが、ずっと舗装道路で、分かれ道ではかならず案内の矢印が立っており、安心して歩くことができる。
15分くらい歩くと花沢城跡、そこから下り坂になって5分くらいで花沢の里の入口につく。ここにも公衆トイレがある。そこから法華寺まで1キロ弱である。トータルの道のりは35分くらい。
拝観には事前連絡が必要である。
拝観料
志納
お寺や仏像のいわれ
法華寺からさらに東へと山道がのびていて、そこを行けば日本坂峠を越えて静岡市へと入る。古代にはこの道が東海道だったことがあるらしい。従って、法華寺のある場所は、かつての交通の要衝であった。
しかしながら法華寺の創建年代についてはよくわからない。奈良時代につくられた国分尼寺が起源であるという伝えもあるが、不詳というほかはない。比叡山の末寺として天台宗のお寺であったこと(現在でも焼津市内唯一の天台宗寺院である)、一時は多くの末寺をもつほど栄えたことは確かなようだ。また、かつてはもっと山の方にお堂が建てられていたともいわれる。
16世紀後半に武田氏の軍によって焼かれ、その後、無住となった時期もあったくらいに衰微した。現在は本堂と仁王門を中心とした小さな寺院となっている。
本尊は千手観音像で、江戸時代後期に再建された本堂の中央の厨子中に納められている。秘仏で、次の開帳は2020年頃だそうだ。厨子の左右には二十八部衆が安置されている。
聖観音像は本尊厨子の向って左側に、厨子に入って安置されているが、秘仏というわけではなく、お願いしておけば扉を開いてくださる。
もと法華寺の奥院の東照寺(東正寺とも)の本尊と伝えられる。
拝観の環境
厨子中に安置されているので、正面からのみの拝観である。近くに寄って拝観できるが、両肩など体の端は見えにくい。
仏像の印象
等身大の立像で、細身の美しい像である。
ヒノキの寄木造で、目は彫眼、全体に穏やかな作風である。ただし両手先や天衣の垂下部分など、後補部分が多く、漆箔や装身具も後世のものである。面部も修理されている可能性がある。厳しい歴史を経ていることを思わせる。内ぐりは深いという。
とにかく下半身が長い。ほぼ直立の姿勢であることも、像をすらりとした印象に見せている。特に下半身は左右対象性が強く、2本の天衣(てんね)が太く、平行の曲線を描く様子が印象的である。衣の襞(ひだ)は浅く、傷みのためもあるのかもしれないが、下半身では襞が省略されている。
穏やかな像であることと、寄木造であることから、平安後・末期時代の作と思われる。ただし、補修部分が多く、類例作を求めにくい独特の像であることから、時代の特定は難しい。ごつごつした木の感触を前面に出す像ではなく、全体的には洗練されている印象であるので、都風とも思える。しかし衣の腰のあたりの形や太い天衣、下半身の襞の省略など、細部からは地方的な造形といえそうである。
おとなしい像でありながら、既存の仏像の年代区分の枠組みにおさまりきれないというギャップが面白い。
さらに知りたい時は…
『比叡山と東海の至宝』(展覧会図録)、名古屋市博物館、2006年
『焼津市史 通史編』上・下、焼津市、2005・2006年
『静岡県の仏像めぐり』、静岡新聞社、2005年