正善寺の伝大日如来像
鎌倉時代前期ごろの名像
住所
南伊豆町手石165
訪問日
2013年6月22日
拝観までの道
正善寺(しょうぜんじ)は、伊豆急下田駅前のバスターミナルより堂ヶ島、石廊崎方面行き東海バスに乗車し「日野(ひんの)」、または堂ヶ島方面行きでもう一つ先のバス停「日野橋入口」で下りる。
「日野橋入口」バス停の南側にある青野川にかかる橋(日野橋)を渡ってさらにまっすぐに行くと、正面右側に苔むした石塔、石仏が立っているのが見える。そこが正善寺の入口である。「日野橋入口」バス停から5分くらい。
特に門などなく、境内にはお堂がひとつあるばかりのお寺で、普段無住。少し離れた修福寺(しゅうふくじ)が管理を担当しているので、拝観は事前に修福寺に連絡を入れる。
拝観料
志納
仏像のいわれなど
正善寺は現在は曹洞宗だが、もとは真言宗寺院という。
伝大日如来像は正善寺のお堂の正面向って左の間、壇上に安置される。
まげを結い、冠や胸飾りをつけるところは菩薩の姿だが、如来の袈裟をつける。手は胸前でふわりと合わせる。この手先は後補だが、腕の付き方として、手は胸前で構えていたことは確実で、金剛界、胎蔵いずれの大日如来像の印相とも異なり、本来の像名は決しがたい。
拝観の環境
堂内は外の光が入って明るい。晴天の日中がよい。
仏像の印象
像高約1メートルの坐像で、寄木造、玉眼。樹種はヒノキという。
顔は四角く、額は狭く、あごはしっかりとつくる。眼は細い。全体に厳めしい顔つきで、親しみにくい表情の像である。
ただし、かつてこの像はかなり傷みが進んでいて、現在の像の表面は近年の修理による。以前撮られた写真の印象は、現在より落ち着いた穏やかなもので、今のいかめしく感じられる印象は、修復の際に塗られた金によるところもあるかもしれない。
衣は通肩に着ける。なで肩である。
脚部をくるむ衣は襞がつまめるように感じるほど自然で、みごとな造形で、鎌倉彫刻らしいすばらしさが感じられる。両足を左右にしっかりと張って安定感を出し、膝頭を少しあげる様子も自然な造形を見せている。
像内銘について
この像の内部には、造像時のものと思われる墨書と修理銘の2種類の銘文が残されている。
造像銘には作者や造像年は記されないものの、造像にあたって阿弥陀経を転読し、念仏を唱えて結縁した人の名前を記している。その名前に善慶、源守吉などとある。
阿弥陀経とあるので、この像はもともと阿弥陀如来像であった可能性もある。また、鎌倉時代には袈裟を着けた菩薩像もつくられることがあったので、阿弥陀如来と関係の深い観音菩薩像ということもあり得るのかもしれない。
修理銘は室町後期のもの。またこのほかに江戸中期の修理に関する銘札が籠められていた。銘札には大日如来と記され、少なくとも近世にはこの像は大日如来像として信仰されていたことがわかる。また、室町後期の修理銘からはこの像が大日禅寺(この寺については不詳)の像であったことが知られるが、その寺の本尊であったとすれば、この時期にすでに大日如来像としてまつられていた可能性が高い。
なお、修理銘札には1205年、雲慶作とある。何らかの根拠があっての記述なのであろうか。興味は尽きない。
さらに知りたい時は…
「伊豆の仏像を巡る(55)」(『伊豆新聞』2013年6月23日号)、田島整
『伊豆の仏像 南部編』、上原仏教美術館、1992年
「伊豆・正善寺 伝大日如来坐像」(『三浦古文化』25)、田中惠、1979年5月