摩訶耶寺と大福寺
三ヶ日の古刹
住所
浜松市北区三ケ日町摩訶耶421(摩訶耶寺)
浜松市北区三ヶ日町福長220-3(大福寺)
訪問日
2009年11月14日
この仏像(摩訶耶寺)の姿は(外部リンク)
摩訶耶寺までの道
摩訶耶寺(まかやじ)は天竜浜名湖鉄道線の三ヶ日駅で下車し、北へ徒歩25〜30分。
駅にはレンタサイクルがあり、借りると10分くらいで着く。台数は多く、よくメンテナンスされているので、使いやすい。
摩訶耶寺について
摩訶耶寺は古代草創。もと山の方にあったそうだが、平安末に現在地に移った。庭園は平安末から鎌倉時代までさかのぼることができる古いもので、大変珍しい。
戦国時代に焼け、現在の本堂は江戸期の再建。本堂右側の収蔵庫に平安時代の仏像3躰が安置されている。
収蔵庫の中はライトがあり、間近からよく拝観できる。
拝観料は400円。8月10日は拝観休止。
仏像の印象
収蔵庫の3躰の仏像は、向って右から不動明王像、阿弥陀如来像、千手観音像である。
不動明王は像高1メートル弱の立像。一木造。頭は小さめで手足は細いが、腰は極めて太くつくる。怒りの表情豊かな顔は凹凸をしっかりあらわす。腰の紐も結びも大きく派手で、全体にメリハリのあるおもしろい像と思う。
阿弥陀如来像は像高90センチ弱の坐像。寄木造。定朝様のゆったりした像で、肉髻はやや高く、螺髪の粒は小さい。丸顔。人中をしっかりとつくっているなど、どことなく懐かしい顔つきに思える。
千手観音像は像高約150センチの立像。一木造。丸顔の上品な表情が魅力的な像である。素地がかなりあらわれているが、くちびるの朱がなまめかしい。斜めから見ると面奥が深く、上半身が長い。ほぼ直立し、短い手や衣の浅い襞(ひだ)からは素朴さも感じられる。下肢には翻波式衣文の名残りが見られる。
摩訶耶寺から大福寺へ
大福寺は摩訶耶寺から北北西に約2キロのところにたつ。三ヶ日駅のレンタサイクルを使うと駅から20分、摩訶耶寺からは10分くらい。ただし、摩訶耶寺までは平坦だが、そこからは若干上り坂がある。
大福寺は平安前期の開創。もと幡教寺といい、数キロ離れた愛知県との境の山の頂きにあり、鎌倉初期に現在地に移ったと伝える。数十の子院をもつ大寺院だったといい、仁王門は本堂の数百メートル手前にあることからも、かつて相当な寺域を誇ったお寺であったことをうかがわせる。
仁王像は傷みも進んでいるが、なかなか勇壮でバランスのとれた像である。鎌倉期の作という。
本尊は秘仏の薬師如来坐像で45年に一度の開扉だそうだ。
本堂への石段の下、向って左側に客殿があり、その裏手に宝物館(聚古館)と回遊式の美しい庭園がある。
大福寺の宝物館
宝物館には中世の仏画(普賢十羅刹女像)、笈(おい)、古文書などが所蔵されている。普賢十羅刹女図は保存状態がよい。笈は鍍金もあざやかに、仏の姿も描かれていて、美しいつくりである。1964年、オリンピック記念として東京国立博物館で開催された「日本古美術展」にも出品されたそうだ。
仏像は、聖観音立像、十一面観音立像など落ち着いた作風の古仏が展示されている。多くの場合秘仏として見ることが難しい歓喜天像が、扉を開けて展示されているのも珍しい。
宝物館と庭園の拝観料は500円。
その他
大福寺は中国から伝来した納豆をはじめて日本で製造したところなのだそうだ。大福寺納豆、あるいは浜名納豆といい、今でも昔ながらの製法でつくっているという。毎年夏に仕込み、秋から春にかけて販売している。
さらに知りたい時は…
『静岡県で愉しむ仏像めぐり』、大塚幹也編著、静岡新聞社。2022年
『みほとけのキセキ』(展覧会図録)、みほとけ展実行委員会、2021年
『仏像に恋して』、真船きょうこ、新人物往来社、2010年
『静岡県の文化財ー彫刻』、静岡県教育委員会文化財課、1978年