修禅寺の大日如来像
毎年11月に10日間公開
住所
伊豆市修善寺964
訪問日
2006年11月3日、 2018年11月4日
この仏像の姿は(外部リンク)
拝観までの道
修禅寺(しゅぜんじ)は伊豆急駿豆線の終点、修善寺駅から修善寺温泉行きバスに乗り、終点下車、西へ歩いて3〜5分。
大日如来像は、例年11月1日から10日まで宝物館にて公開される。
宝物館の入館料
300円
お寺や仏像のいわれ
修禅寺は、寺伝によると9世紀初頭に空海が創建したという。はじめ桂谷山寺と称し、延喜式にも登場するが、鎌倉時代より修禅寺と改められたらしい。
鎌倉時代後期から臨済宗となり、その後戦国時代の兵火で焼け、北条早雲によって曹洞宗寺院として再興された。
本尊の大日如来像は1984年に解体修理され、像内から銘文と納入品が発見された。これによって、1210年に実慶が造ったものとわかった。
実慶は「運慶願経」(1183年)に名前の見える慶派の仏師である。この修理の時点で実慶作の仏像は知られておらず、重要な発見となった。新聞でも報じられたそうである。
納入品は美しい布に包まれた髪の毛であった。
髪はB型とO型の血液型の人のものとのことで、2人分であることが判明している。1210年というのは、この地で非業の最期をとげた鎌倉幕府の2代将軍源頼家の7年忌にあたることから、頼家ゆかりの人の髪と考えられる。『吾妻鏡』の1210年7月8日の条に頼家の妻辻殿が出家をしたという記事があり、辻殿の髪と思われる。もうひとり分は、母である北条政子である可能性がある。
なお、髪を包んでいた布は、中国宋代の織金錦(しょっきんにしき)で、染織の研究史上重要な資料であるという。
拝観の環境
ガラス越しではあるが、近い距離でよく拝観できる。
仏像の印象
大日如来像は像高約1メートルの坐像で、ヒノキの寄木造、玉眼。
目鼻立ちがくっきりとして、目は釣り上がりぎみである。ほおが豊かで、やや顔立ちはややしもぶくれに見える。まげは高く結う。
脇を締めてあまり肘を張らない。智拳印を結ぶ左右の手が縦にまっすぐでなく、やや斜めにして合わせていることで、自然な姿勢を保っている。
上半身は大きく豊かに、胸はたくましく、銅を絞る一方でお腹の肉づきはよい。腰布の結び目を見せ、脚部は左右にしっかりと張って、安定感を出している。
玉眼や足の裏の肉付きなど、生気あふれる造形で、なまなましささえ感じる。
表面の漆箔は大半が後補だが、髪やくちびるなど彩色が残る。
像内は丁寧に内ぐりされ、像底は慶派の仏像でよく見られる「上げ底式」になっているそうだ。
運慶願経と実慶
「運慶願経」とは、運慶が珍賀という僧に1183年に書写させた法華経である。8巻のうち7巻が現存する(京都の真正極楽寺と個人によって分蔵)。奥書によると、厳密な法要とともに書写が行われ、軸木は1180年の南都焼打ちで焼け残った東大寺の柱木を用いたという。
奥書中にはこの書写事業に結縁(けちえん、仏法と縁を結ぶこと)した人々の名前が記され、その中に快慶、実慶ら慶派仏師の名前が見える。
運慶は1150年ごろの生まれと考えられているので、この時30代半ば。実慶は運慶の弟子あるいは兄弟弟子であろう。一派の中心して立ってゆく運慶とそれを助ける一門の仏師たちの結束が、お経制作にも現れていて興味深い。
なお、この仏像が実慶作であることが分かってからまもなく、同じ静岡県の函南町にあるかんなみ仏の里美術館の阿弥陀三尊像もまた実慶作であることが分かった。
仁王像と指月殿の釈迦如来像
修禅寺にはこのほかにも古仏が伝来する。
仁王像(金剛力士像)は古様をあらわし、平安時代にさかのぼると推定される貴重な像である。像高は約180センチ。かつては指月殿(しげつでん)内に安置されていたが、2014年に山門が改修され、門の左右に移された。ガラス越しの拝観。
指月殿は修禅寺の山門を出て川を渡り、案内板に従って坂を上ったところにある。2代将軍頼家の冥福を祈って母である北条政子が建てたものという。本尊の釈迦如来像は鎌倉時代の仏像といい、像高約2メートルの坐像。寄木造。右手に蓮華を持つ姿は珍しい。
薬王寺の薬師如来像について
修善寺駅から2駅三島方向に戻った大仁(おおひと)駅下車、西南に徒歩約20分。狩野川の対岸の伊豆市熊坂に平安期の薬師如来像を伝える薬王寺がある。拝観は事前連絡必要。志納。
浄土宗寺院で、本尊は善光寺式の阿弥陀三尊像。向かって左側の間に平安時代末期頃の薬師如来像(像高1メートル弱の立像)が安置されている。定朝様の坐像の仏像を立たせればこのような姿になるのではないかと思える像だが、顔立ちはやや四角張り、目はやや釣り上がりぎみにつくる。
さらに知りたい時は…
『運慶 鎌倉幕府と霊験伝説』(展覧会図録)、神奈川県立金沢文庫、2018年
「仏師と仏像を訪ねて2 実慶」(『本郷』135)、山本勉、2018年5月
『仏像再興』、牧野隆夫、山と溪谷社、2016年
『仏像の知られざるなかみ』(『別冊宝島』1988)、宝島社、2013年
「伊豆の仏像を巡る」22(『伊豆新聞』2012年11月4日)、田島整
『鎌倉×密教』(展覧会図録)、鎌倉国宝館、2011年
『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代・造像銘記篇2』、中央公論美術出版、2004年
『運慶』、副島弘道、吉川弘文館、2000年
「修禅寺大日如来像と桑原薬師堂阿弥陀三尊像」、水野敬三郎(『日本彫刻史研究』、中央公論美術出版、1996年)
「新指定の文化財」(『月刊 文化財』351)、文化庁文化財保護部、1992年12月
「修禅寺本尊大日如来像納入錦」(『三浦古文化』36)、小笠原小枝、1984年11月