上原美術館寄託の阿弥陀三尊像
旧西伊豆・吉田寺の仏像
住所
下田市宇土金351
訪問日
2007年2月25日、 2018年1月1日
美術館までの道
伊豆急下田駅から蓮台寺駅を経由して松崎・堂ヶ島へ向かうバス(東海バス)で「相玉」(あいたま)下車、北へ徒歩約15分。バスは1時間に1〜2本程度(「相玉」までの乗車時間は、下田駅からは約20分、蓮台寺駅からだと約10分)。
展覧会会期中は無休。
旧吉田寺の仏像については、以前は毎年1月〜2月の時期に特別陳列されていた。今後については確認が必要。
* 上原美術館
入館料
一般1000円
仏像のいわれ
1983年、大正製薬を率いた上原正吉氏によって上原仏教美術館が開かれた。その後、大正製薬の社長を継いだ上原昭二氏のコレクションをもとにして上原近代美術館が開かれ、この2館は隣り合っていたが、別法人であった。それらが統合されて上原美術館となり、それぞれの建物は「仏教館」「近代館」となった。
仏教館の方はこれを機にリニューアルされることになり、2015年から約2年間の閉館を経て、2017年の11月に再開館となった。
近代の仏師による木彫作品が並ぶ仏像ギャラリーの奥に落ち着いた展示室が整備された。
筆者が訪れた時には、リニューアルを記念した展覧会が行われており、仏教館の展示室の奥の壁面に西伊豆・松崎の吉田(きちでん)寺の阿弥陀三尊像が展示されていた。
吉田寺は、伊豆半島の西南部の港町松崎から東へ2キロほど入った吉田地区にあった寺院である。現在は小堂を残すのみで廃寺となっているとのことだが、江戸期の史料によれば、非業の最期を遂げた源頼家の冥福を祈って母の北条政子が創建し、本尊の阿弥陀三尊像は運慶作であると書かれている。
この記述をそのまま信じることはできないが、海に面し、陸路でも沼津、修善寺、下田へと通じる交通の要所である松崎を重視して北条氏が寺を構えたということはあり得ることである。
展示の環境
像はメインの展示室の横手の小さな展示室に安置されていた。照明も十分であり、間近にじっくりと対面できた。また、側面からも見ることができ、脇侍像の結い上げた髪の繊細な彫りの様子などもよくわかる。
仏像の印象など
中尊は像高約70センチの坐像、脇侍は像高約1メートルほどの立像であり、比較的小ぶりな像である。鎌倉時代も作。
脇侍の菩薩像が観音・地蔵であるのが珍しい。また、本尊に比べて脇侍の像高は高めで、本尊は玉眼だが脇侍は彫眼であるなど独特なところもあるが、当初から一具と考えられる。
ややおとなしい作風であり、張りと安定感があり、とても端整な美しさをみせる。像底はいわゆる「上げ底式」であり、慶派の仏像によく見られる技法である。
かつての写真をみると相当傷みが進んでいたが近年修復され、面目を一新した。
中尊はヒノキの寄木造で、玉眼、光背・台座も当初のものが揃い、貴重である。ただし鼻は後補という。脇侍はヒノキの割矧(わりは)ぎ造で、手首・足先・天衣の一部などが後補となっている。
脇侍の観音像の台座に墨書があり、「□□/幸道/作」とある。先の2文字は判読不能、その左隣に「幸道」とあり、その下中央部に「作」が書かれているので、作者名を示すものと思われるが、幸道については不詳。鎌倉の円応寺初江王像の作者の幸有と「幸」の字を共有するので、同じ系統の仏師なのかもしれない。
その他
吉田寺には阿弥陀三尊像と同じ年代のものと考えられる毘沙門天像も伝来し、やはり上原仏教美術館に寄託されている。筆者が訪れた時には、阿弥陀三尊像に向かって右側のガラスケース内に展示されていた。
像高約80センチ、ヒノキの割矧ぎ造で、玉眼。運慶作の願成就院の毘沙門天像に近いポーズであるが、全体的な印象は落ち着いた感じである。
顔は渋めだが、横顔はなかなか精悍である。手首などは後補。踏まれる邪鬼のポーズはユーモラスでのびやかであるが、後補の部分がある。
さらに知りたい時は…
『伊豆仏に出逢う』(展覧会図録)、上原美術館、2024年
『伊豆半島仏像めぐり』(展覧会図録)上原美術館、2019年
「伊豆の仏像を巡る」30〜33(『伊豆新聞』2012年12月30日、2013年1月6日、1月13日、1月20日)、田島整
『来迎の美』(展覧会図録)、上原仏教美術館、2011年
「伊豆・旧吉田寺の阿弥陀三尊像、毘沙門天像について」(『MUSEUM』552)、浅見龍介、1998年2月
『伊豆の仏像 南部編』、上原仏教美術館、1992年
『伊豆国の遺宝』(展覧会図録)、MOA美術館、1992年
『甦る仏たち』(展覧会図録)、東京藝術大学・文化財保護振興財団、1991年