仏法紹隆寺の不動明王像

運慶周辺の仏師の作と推定されている

住所
諏訪市四賀4373


訪問日 
2024年5月11日


この仏像の姿は(外部リンク)
仏法紹隆寺ホームページ 宝物・文化財



拝観までの道
仏法紹隆寺(ぶっぽうしょうりゅうじ)は、中央本線の茅野駅と上諏訪駅のちょうど中間あたりにある。駅から歩くと50分くらいで、タクシーに乗ると2000円強。
バス便は、アルピコバス茅野・上諏訪・下諏訪・岡谷線で「四賀出張所前」下車。そこから東へ坂道を上って10分ほどになる。しかし、このバスは土休日は運休。または、上諏訪駅から市のコミュニティバスであるかりんちゃん子バス大和四賀線で「立畷川」下車。

諏訪市にはレンタサイクルもある。
拝観は月曜日休み。


拝観料
500円


お寺や仏像のいわれなど
真言宗寺院。山号は、鼈澤荘厳山(べったくしょうごんさん)という。鼈はスッポンをさす漢字とのこと。
創建は平安時代初期で、坂上田村麻呂が開山し、空海が真言宗の学問寺として整備したと伝える。
中世にはこの地域の学問、修行の中心の寺として栄え、今日まで多くの聖教を伝える。諏訪神社との関係も深く、また、近世には諏訪高島藩の祈願所でもあったので、諏訪神社神宮寺や高島城にまつられていた仏像が移座されている。
お堂の多くは大正時代の火災後に整備されたもの。建物と美しい庭園がゆったりと配置された境内は緑に囲まれて美しい。


拝観の環境
山門を入ると左右に大きな銀杏と菩提樹があり、正面が本堂だが、まず向かって右にある拝観受け付けで拝観料を納める。その後、右手奥の普賢堂(諏訪大明神御本地堂)と宝物館、いったん戻って、庫裏、本堂、開山堂と巡拝するようになっている。

普賢堂は外陣からの拝観で、堂中央と左右脇陣の仏像はよく見えるが、奥に安置された仏像は遠いため、一眼鏡のようなものがあるとよい。
宝物館は、ガラス越しだが、よく見ることができる。
本堂は法要が行われている場合には、堂内参拝は不可となる。
本堂本尊は薬師如来坐像。左右に真言八祖が並ぶが、これが画像でなく、彫刻なのが珍しい。また、本堂に置かれた音声ガイドも秀逸。


仏像の印象
宝物館安置の不動明王像は像高40センチほどの小像で、伝来は不詳。ヒノキの寄木造、玉眼。制作年代は鎌倉時代前期と考えられている。解体修理はされていないが、X線調査の結果、神奈川・浄楽寺伝来の運慶仏と同じような納入品があることがわかっており、運慶周辺の仏師によってつくられた仏像と考えられている。

巻毛で、衣のひだは直線的で勢いがあり、材は左右2材をもってつくられていることは、運慶作の願成就院不動明王立像と共通する。全体の雰囲気も近い。
口もとをゆがめ、あごは大きめに力強くつくるところなど、迫力がある。姿勢よく、頭と体のバランスがよく、顔つきは恐ろしげであるが、品格も備わる。
ただし、胸、腹、腰布、腕の曲げの具合など、運慶仏に比べならばキレは減じている。


普賢堂の仏像について
普賢堂は江戸前期の建物で、もと東京の高輪にあり、のちに高野山から譲られて移築されたものだそうだ。
堂中央の象にのった普賢菩薩像は、もと諏訪大社上社神宮寺普賢堂にまつられており、近世に運慶流の流れを汲む仏師によって再興された像である。元の像は、諏訪大社の神威を恐れた信長によって破却されたと伝えられている(象座はもとの鎌倉時代のものという)。
上半身に衣をまとい、合掌する姿は、堂々として、神々しさがある。表情はややゆるみ、ずんぐりした体つきや小さめの脚部など、やや物足りなさを覚える。
象は、うねった目の感じや胴にきざまれたしわなど、面白い。

この像の後方には弘法大師像、普賢菩薩像、大日如来像が安置される。このうちの普賢菩薩像は像高50センチ弱の小さな像で、横向きに象にのっているのが珍しい。鎌倉時代後期ごろの美しい仏像だが、拝観位置からは遠く、見えにくいのが残念で。こちらももと諏訪神社関連の像。
また、脇陣には十一面観音像、文殊菩薩像、毘沙門天像が安置されている。


さらに知りたい時は…
『運慶 鎌倉幕府と霊験伝説』(展覧会図録)、神奈川県立金沢文庫、2018年
『長野県史 美術建築資料編 美術工芸』、長野県、1994年


仏像探訪記/長野県

普賢堂
普賢堂