陽泉寺の釈迦如来像・供養石塔
端正な釈迦仏と美しい来迎三尊の石塔
住所
福島市下鳥渡字寺東17
訪問日
2006年8月17日
この仏像の姿は(外部リンク)
拝観までの道
福島駅東口より福島交通鳥川方面行きバスで約20分、「島」という停留所で下車。陽泉寺はそこから徒歩数分のところにある。
バスの本数は2時間に1本程度と少なく、しかも乗ってきたバスの折り返しの便は約30分後に来てしまい、拝観の時間を考えるとこれに乗ることは難しい。
帰りのバスの時間を調べておき、それにあわせて行きにタクシーを使う方法がよいかもしれない。
→福島交通
突然の来訪にもかかわらず、ご住職が快く対応してくださったが、事前に連絡してからうかがった方がよいかもしれない。
拝観料
志納
お寺や仏像のいわれ
このお寺には、南北朝時代の銘のある釈迦如来像と鎌倉時代中期の供養塔がある。
釈迦如来坐像は、背部の内面に銘が墨書され、1371年、二階堂時世(当時の有力者で 北朝方の武将であろう)により、この地にかつてあった湖山寺の本尊として、中央の仏師と思われる円勝と乗円(円勝が師で乗円が弟子か)を迎えてつくられたことがわかる。製作年、造像主、仏師名がすべて分かっているという点で貴重な仏像である。
拝観の環境
釈迦如来坐像はお堂の左手の収蔵庫に安置されている。扉を開けていただくと、像の全体(正面)がとてもよく拝観できる。
仏像の印象
釈迦如来坐像は、像高はほぼ等身大の約90センチの割矧(わりはぎ)造で、ご住職によると杉材とのこと。
端正で静かな像である。 衣文もごちゃごやした感じがない。
顔には後世の塗り直しがあり、やや像容を損ねているのが残念である。
仏師乗円について
釈迦像の作者乗円は、福島県内に数体の仏像を残している。また、円勝は別名を道円といい、やはり県内に遺品を残す。南北朝の争乱で倒れた人々を弔うために各地の領主によって招かれ、東国に土着した円派(慶派、院派とともに定朝の系譜を引く仏師のグループ)の仏師と考えられる。
供養石碑について
境内北側の丘に立つ石造の阿弥陀三尊供養塔は、その端に銘文が彫られている。これによると、製作年は鎌倉中期の1258年、平氏の女性が母のために建立したということがわかる。
阿弥陀三尊供養塔ともよばれる。
木造の小堂に覆われ、前面と向かって左側の面に格子がつけられ、そこから見ることができるようになっている。左の面から入ってくる光によって浮き彫りの様子が見やすいようにと配慮されたつくりでうれしい。
全体の高さは1メートル80センチもある大きなもので、凝灰岩に、雲に乗り来迎する阿弥陀三尊を浮き彫りにしたものである。笑っているような仏の顔が愛くるしく、阿弥陀仏の頭部から放射される光や、雲の表面の泡立つような表現がくっきりと浮き出し、すばらしい。『日本石造美術辞典』(川勝政太郎、東京堂出版、1978年)によれば、こうした来迎三尊を石に浮き彫りにしたものは福島県に類例が多いが、その中でももっとも傑出したものという。摩滅がすすんでいない理由は、ご住職のお話によれば、仏が彫られた面を下にして長く倒れていたからとのこと。
さらに知りたいときは…
『南北朝時代の彫刻』(『日本の美術』493)、山本勉、至文堂、2007年
『日本の石仏200選』、中淳志、東方出版、2001年
『図説福島の仏像』、福島県立博物館、1991年
『仏像を旅する-東北線』( 至文堂「別冊近代の美術」) 佐藤昭夫編、1990年
「十四世紀仏像彫刻の展開と仏師乗円」(『仏教芸術』85)、上原昭一、1972年
「大仏師乗円とその造像について」(『金沢文庫研究』134)、佐藤昭夫、1967年