浮嶽神社の平安仏
久安寺に伝来した仏像
住所
糸島市二丈吉井954
訪問日
2016年3月7日
この仏像の姿は(外部リンク)
拝観までの道
浮嶽(うきだけ)神社の最寄り駅は、JR筑肥線の福吉駅。
駅南口から西南へまっすぐに伸びた道を10分くらい行くと、県道143号に突き当たる。この県道を南へ、やがて県道202号のバイパス(かもめ街道)の下を通る。その先徐々にきつい上り坂になる。
さらに15分くらい行くと道が二股にわかれているので、県道を離れて浮嶽神社への案内板が出ている左の道へ。5分くらい上っていくと浮嶽神社の鳥居の前にでる。駅からトータルで35~40分。
鳥居の手前に宮司さんのお宅があり、そこで拝観をお願いする(事前連絡必要)。
拝観料
志納
お寺や仏像のいわれなど
福岡と佐賀の県境の山々を背振(脊振、せぶり)山地という。
九州の山地といえば、まずはその背骨のように南北に走る九州山地。それに対して第2の山地とも言うべき北部の筑紫山地はやや小規模、断続的で、標高もせいぜい1,000メートルと低い。背振山地は筑紫山地の一部分であるので、山地・山脈だらけの日本列島の中では、小さくまたローカルな山なみといえるだろう。
しかし、この大地のシワのためにその北側には冬には雪が、南側には温暖で雨がやや少ない気候がつくられているし、豊かな森に引き寄せられてハイキングなどレジャー客もよく訪れる。
古代においても、北の海から日本をめざした人々にとって存在感ある緑の山々であったであろう。
そのためか、古くより仏教が根付いたところであったらしく、かつては背振千坊とよばれるほどの寺院が建ち並んでいたという。また、インドからはるばる来日した僧、清賀上人が聖武天皇の勅願によって、この地に怡土(いと)七ヶ寺と呼ばれる7つの寺をつくったという伝説が残る。
背振山地の西の端に浮嶽(うきだけ)という山がある。標高は約800メートル。その山の麓に浮嶽神社が鎮座するが、かつては神宮寺として久安寺という寺がともに存在していた。このお寺も怡土七ヶ寺に数えられていたというが、近代の廃仏の時期に廃寺となってしまった。
平安時代の仏像が何躰か遺され、今は浮嶽神社の収蔵庫に安置されている。
拝観の環境
収蔵庫の中まで入れていただける。よく拝観できる。
仏像の印象
収蔵庫の中、右側の3像が平安前期のカヤの一木造の仏像である。向かって右から如来形立像、伝地蔵菩薩立像、そして伝薬師如来坐像。手足など失われた部分があるものの、いずれもきわめて魅力ある仏像である。
如来形立像は像高約180センチ。台座の下の部分まで含んで一木から彫り出し、内ぐりもほどこさない。
顔は小さく、目鼻だちは中央に集まる。帽子がかぶさるようにつくられた地髪部が印象的である。
胸や腹に刻んだ線は力強く、胴はしっかりと絞り、腰から下が長い。ももを量感豊かにつくって、そこから足首の方へと細くなっていく曲面がすばらしい。
伝地蔵菩薩像は像高170センチ余りで、雰囲気は如来形立像と共通するものも感じさせるが、細部はかなり異なっている。
頭部は比較的大きく、下半身はやや短い。腹の下の衣の線は如来形立像よりもしつこいくらいにつくられている。右肩にはぼってりと布を懸け、また袖口としているのも面白い。衣の下には前であわせる下着(?)をつけているのも変わっている。
頭の生え際はしっかりとあらわしている。
また、目は左右で高さが異なり、大きく左右対称を崩しているのも大変面白い。
神の像なのだろうか。
伝薬師如来像(如来形坐像)は像高約90センチ。両足部まで含んで一木でつくられている。
まず目がいくのが肉髻で、球形に近いようなかたちをしている。
顔つきはきびしく、目は切れ長にせず、しっかりと見開き、目尻を強くあげる。
どっしりと盤石であるように感じられるが、それでいて胸や腹には動きがあるように思え、とても魅力がある。右肩や右腕の衣のひだも心地よい揺れを感じさせる。
その他
伝阿弥陀如来坐像は平安後~末期時代の定朝様の仏像。
ほかに破損が進んだ小さな像が5躰安置される。十二神将の一部であろうか。
さらに知りたい時は…
「国宝クラス仏をさがせ! 20 浮嶽神社の古仏」(『芸術新潮』872)、瀬谷貴之、2022年8月
「観世音寺における講師と造像」(『仏教芸術』348)、宮田太樹、2016年9月
『福岡の神仏の世界』(展覧会図録)、九州歴史資料館、2014年
『九州仏』(展覧会図録)、福岡市博物館、2014年
『福岡県の仏像』、アクロス福岡文化誌編纂委員会、海鳥社、2014年
『続 古佛』、井上正、法蔵館、2012年
『空海と九州のみほとけ』(展覧会図録)、福岡市博物館、2006年
『二丈町誌』(平成版)、二丈町誌編纂委員会、2005年
『隠れた仏たちー山の仏』、藤森武・田中惠、東京美術、1998年