大興善寺の如意輪観音像
南北朝時代の慶派仏師による造像
住所
北九州市小倉南区蒲生2-8-6
訪問日
2012年7月23日
この仏像の姿は(外部リンク)
大興善寺ホームページ(文化財)
拝観までの道
大興善寺(だいこうぜんじ)は、JR小倉駅南口のバスセンターから西鉄バス21系統か45系統に乗車し、「中川原」下車、西へ徒歩5分。 → 西鉄バス
または北九州都市モノレール小倉線で競馬場前下車、徒歩約20分。
拝観は事前の連絡必要。
拝観料
志納
お寺や仏像のいわれなど
曹洞宗のお寺だが、もとは西大寺流の律宗寺院として、鎌倉時代後期から南北朝期にかけ興隆したらしい。そのころの作である如意輪観音像、釈迦如来像、仁王像が伝わっている。
拝観の環境
如意輪観音像は、本堂本尊として高い壇上に安置される。斜め下から見上げるようにして拝観させていただけた。
*『福岡県の仏像』(海鳥社、2014年)によれば、「非公開」となっている。
仏像の印象
像高約80センチの坐像。ヒノキの寄木造、玉眼。6臂の像である。
まず、目につくのは全体の雰囲気で、6本の手をゆったりと構えてすわっていらっしゃるように感じる。いかにも緊張感みなぎるという仏像もあるが、この像はとても自然体な感じである。当時の宋元画で、ゆったりとくつろぐように座る観音像が描かれていることがあるが、そうしたものの影響もあるのだろうか。
顔をわずかに傾け、右の第一手を頬に近づける。顔つきは独特で、やや面長、目は細く、その下の頬の部分が縦に長く感じられる。
玉眼によって生気のある顔立ちとなっている。
まげは亡失しており、残念。また、蓮を持つべき左の第二手が宝珠をもっているために、右の第二手と持物が重なってしまっている。しかし、全般的には保存状態はよいようだ。
裙の折り返しが膝の下まで来て、それが波打つようにあらわされているのは、宋風の表現と思われる。裙の襞はなかなか深く、それが全体の雰囲気を引き締めている。
作者について
本像は像内銘文があり、作者と造像年がともにわかっている貴重な作例である。それによれば、南北朝時代の1340年に法印幸誉らによってつくられたことがわかる。
幸誉は1338年に東寺大仏師に任じれられた康誉と同一人物と考えられ、他の作例としては大分県日田市の岳林寺釈迦三尊像や、栃木県真岡市の遍照寺大日如来像がある。その遍照寺大日如来像の銘に康誉は「運慶五代之孫」と記しており、東寺大仏師に任じられていることとあわせて、慶派の流れを汲む重要な仏師であったことがわかる。
釈迦如来像と仁王像について
釈迦如来像は、本堂の裏手に接続する位牌堂に安置される。清涼寺式の像で、この形式の像は、西大寺や鎌倉の極楽寺など真言律の寺院で重んじられた。
威厳がある一方、人間味あふれる顔立ち。大きな目、大きな掌、長い首、ももを流れる衣の線など、印象深い。
仁王像はお寺の入口の仁王門安置。破綻のないすっきりとした姿の像で、如意輪観音像、釈迦如来像ともども鎌倉末期から南北朝期の作と考えられている。
この時期の仁王像を代表する優品である。
その他
佐賀県基山町にも同名のお寺があり混同しがちだが、そちらは天台宗の寺院であり、直接の関係はないようだ。
さらに知りたい時は…
「仏師と仏像を訪ねて23 康誉」(『本郷』156)、武笠朗、2021年11月
『福岡県の仏像』(『アクロス福岡文化誌』8)、海鳥社、2014年
『運慶流』(展覧会図録)、佐賀県立美術館・山口県立美術館、2008年
『南北朝時代の彫刻』(『日本の美術』493)、山本勉、2007年6月
『北九州市史 古代・中世』、北九州市史編さん委員会、1992年
「九州西大寺末寺の美術遺品」(『仏教芸術』199)、八尋和泉、1991年11月
『北九州市の文化財』、北九州市教育委員会、1981年