大悲王院の千手観音像
旧千如寺の仏像を伝える
住所
糸島市雷山626
訪問日
2016年3月7日
この仏像の姿は(外部リンク)
拝観までの道
交通はJR筑肥線の筑前前原駅の南口から雷山観音前行きの糸島市コミュニティバス(雷山線)に乗車し、終点下車。さらに先へと上っていくと、やがて左手にお寺があらわれる。
バスの本数は多くなく、休日はさらに少なくなるので注意。
境内の大カエデはとてもみごとで、紅葉の季節には混雑するということだった。
拝観料
400円
お寺や仏像のいわれなど
雷山(らいざん)は背振(せぶり)山地にあって、浮嶽とともに有名な霊山である。標高は約950メートル。雷神社が鎮座し、それと一体となった千如寺という寺院があった。
千如寺は聖武天皇の勅願によってインド僧の清賀上人が開いたと伝え、かつては300ともいわれるたくさんの山坊がこの山の山腹から山頂にかけて点在していたという。大悲王院もまたその中の一坊であったが、創建は遅く、江戸時代の中期、福岡藩主による。
千如寺を構成していた数々の子院の中で大悲王院だけが今日まで残り、幸いなことに本尊の千手観音像をはじめ、千如寺が栄えていた時代の仏像を多く伝えている。
拝観の環境
まず本堂外陣に入れていただき、その後お寺の方の案内に従って内陣に進むことができる。私の場合は他に2名の方が祈願のために来られていたので、ご一緒にお詣りさせていただいた。
本尊はもとは秘仏だったそうで、その名残りか、拝観や祈願の人が来るたびに扉を開閉している。読経がはじまるとともに厨子の扉は開かれ、4メートル半以上ある丈六の千手観音立像を拝することができた。まさに大迫力の像である。
このお寺は現在も霊験あらたかな祈願の寺として有名であるらしい。そのあともご祈願の方が訪れていた。入れ替え制のように私たちがお堂から出て、厨子の扉を再び閉め、新しい参拝客を内陣に招くということになる。従って、ゆっくりと拝観というわけにはいかないのは残念ではあった。
仏像の印象
千手観音像は像高約460センチ。丈六の立像である。内陣に座らせていただいて、仰ぎ見ると、大変大きく迫力がある。寄木造。カヤ材という。
顔が面長であり、生硬な雰囲気も感じさせるが、口もとの微笑みが魅力的でもある。
顔に対して体はやや細身であるようにも思う。
衣はよく整って像に落ち着きを与えているが、やや形式的で面白みには欠けると評することもできるかもしれない。
ユニークなのは光背で、小脇手を杉板にうちつけて光背とし、またそれによって実際に千の手を持つ観音であることを示している。
鎌倉時代後~末期ごろの作と思われる。
二天像と二十八部衆像について
本尊の左右に安置されている二天像は、持国天、多聞天と伝える。像高は約170センチ。ヒノキの寄木造。ややぎこちない立ち姿ながら、仏法を守護する威厳と力強さを持っている。
なお、多聞天像の像内に墨書銘があり、1291年につくられたことが知られる。
内陣の横~背面にかけずらりと安置されているのが二十八部衆像である。
像高はそれぞれ90センチ弱程度。動きが硬くなり、形式化が進んでいることから、南北朝時代頃の作と考えられている。
この群像で面白いのは、雷神像が2躰あること(その一方、風神像はない)。雷山の名にちなんで、風神をやめて雷神を2躰にしたのでもあろうか。
開山堂の清賀上人像について
本堂裏手より階段を上ってゆくと、開山堂にでる。中央に雷山千如寺を開いた清賀上人像がまつられている。
像高約70センチの坐像。材はヒノキという。寄木造。
口を開いて歯をみせているのは、経を唱えている姿であろうか。衣は省略気味にあらわされている。
本堂の仏像と同様、千如寺が隆盛していた時期、鎌倉末期頃の作と思われる。
さらに知りたい時は…
「特集 よみがえれ、仏像!」(『芸術新潮』2015年5月号)
『九州仏』(展覧会図録)、福岡市博物館、2014年
『福岡県の仏像』、アクロス福岡文化誌編纂委員会、海鳥社、2014年
「雷山千如寺に関する一考察」(『 西南学院大学大学院文学研究論集』22)、吉田扶希子、2003年
「ふくおかの文化財展9 阿吽のかたち」(「福岡市博物館常設展示室(部門別)解説」194、2001年12月4日~2002年3月31日)
『筑前怡土雷山千如寺大悲王院』(『九州の寺社シリーズ』10)、九州歴史資料館、1989年(改訂復刻版1996年)