正法寺の金銅仏

  鎌倉期・銅造の半跏踏み下げ像

住所

小浜市小浜大原37-1

 

 

訪問日 

2009年10月3日

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

小浜市ホームページ  寺社・史跡

 

 

 

拝観までの道

正法寺(しょうぼうじ)は、小浜駅の西、徒歩15〜20分のところにある。老尼僧が守る小寺院である。

お留守のこともあるので、事前に連絡して行くのがよい。

 

 

拝観料

400円

 

 

お寺や仏像のいわれ

本尊は金銅造の如意輪観音像。2臂の半跏思惟像で、総高は60センチ弱と、比較的大型の金銅仏である。

寺伝によれば、この仏像は後醍醐天皇の家臣で佐渡に流され殺された日野資朝の一子阿新丸(くまわかまる)の念持仏で、父の仇を討って佐渡から脱出するのを助けたという。この阿新丸の仇討ちは『太平記』に見え、かつては有名な話であったらしい。阿新丸が仏に助けられる逸話は、他の仏像の霊験譚として語られることもある(糸魚川市の水保観音堂・十一面観音像など)。

その後この若狭の海を鎮めるためにこの仏像は海中にあったが、不思議な光を見た大橋五郎左エ門が海中より引き上げた。この時仏像を脇(腋)にはさんだので、以後脇左エ門と改名し、また仏像出現の地を仏谷と改称した等さまざまな伝承がある。

その後仏のお告げによってこのお寺の本尊としてまつることになったと伝える。

 

 

拝観の環境

本堂正面厨子内に安置され、前には大きな鏡が置かれている。かつては厳重な秘仏であったという。鏡をどかし、扉を開けて拝観させていただいた。

お堂はやや暗いが、鍍金はほぼ落ちて(衣にわずかに残るが)真っ黒な仏像なので、かえって強い光があたっているよりも見やすいかもしれない。すぐ前で拝観させていただけた。厨子中に帳が垂れ、正面のお姿がかろうじて全身見える。

 

 

仏像の印象

実際に拝観する前にこの像の写真は見ていた。斜めからのもので、一見飛鳥、奈良時代の菩薩半跏像のように感じた。

しかし実物を見ると、端正な顔、ゆったりした胸の厚み、思惟する手の表情や曲げた右肘と右足の関係、衣文の襞(ひだ)まで極めて自然で、飛鳥・奈良期の仏像とは異なり、鎌倉時代の作であると感じられる。いかに模古的につくろうとも、実際につくられた時代の風があらわれている実例といえようか。

 

本像に限らず、鎌倉時代には古代の仏像を模した像がかなりの数、制作されている。

この像もそうした模古作のひとつなのであろうか。

現在日本伝来する半跏思惟の姿の菩薩像は35〜40躰である(近代以後インドや朝鮮半島からもたらされたものは除いて)。そのほぼすべてが6世紀〜8世紀の像である。その中でこの像のみが鎌倉時代作の可能性が強い。

この像がもつ宗教的な伝承とともに、造像された時代背景にはたいへん興味を引かれる。それゆえにこの像の魅力はますます強く、深くなっている。

 

 

さらに知りたい時は…

『わかさ小浜の文化財(図録)』、小浜市教育委員会、1995年(第10版)

『福井県史 資料編 』14、福井県、1989年

『若狭の古寺美術』、「若狭の古寺美術」刊行会、1983年

『平安鎌倉の金銅仏』(展覧会図録)、奈良国立博物館、1976年

 

 

仏像探訪記/福井県