鶴岡八幡宮宝物殿の住吉神像
航海の安全を見守ってきた神さま

住所
鎌倉市雪ノ下2-1-31
訪問日
2011年11月13日、 2022年5月20日
この仏像の姿(外部リンク)
拝観までの道
鎌倉市の中央を南南西から東北東に走る若宮大路は、源頼朝によって整備された鶴岡八幡宮の参道である。
3つの鳥居があり、海に近い方から一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居という。
鎌倉駅から東側へ、若宮大路に出ると、左手に見えるのが二の鳥居である。そこから三の鳥居まで徒歩で10分弱。
鶴岡八幡宮の境内には、3つのミュージアムがある。神奈川県立近代美術館・鎌倉館(2016年閉館)、鎌倉国宝館、そして鶴岡八幡宮の宝物殿である。
三の鳥居から八幡宮の境内へと入り、そのまままっすぐに進むと正面に舞殿がたつが、その手前、左側にあるのが戦後の公立美術館のさきがけをなした神奈川県立近代美術館・鎌倉館である。逆に右手奥へと進むと、鎌倉国宝館がある。鶴岡八幡宮に伝わる神宝類の一部はこの鎌倉国宝館に寄託されている(常設展示はされていない)。
そして、舞殿から石段を上って正面が本宮(本殿)であるが、その左手に八幡宮の宝物殿がある。
休館日は特に設けられていないが、展示替えのために臨時に休館する場合があるとのこと。住吉神像は筆者が知る限りずっと同じ位置で展示されているが、展示替えもあり得るので、問い合わせて行くのがよい。
拝観料
入館料は一般200円
神社と神像のいわれ
鶴岡八幡宮は、11世紀、源頼義が石清水八幡宮から八幡神を勧請したのがそのはじまりという。
当初は今より海岸沿いにあったが、頼朝が鎌倉の街づくりを進めるにあたって、現在の場所に移した。
もっとも、かつては神仏混淆であり、密教寺院として鶴岡八幡宮寺とも呼ばれていた。近代初頭の廃仏以前は仁王門があり、仏堂が並び、仏像も多く安置されていたそうだが、近代初期の廃仏に際してその多くが失われ、また寺外に流出した。
宝物殿の住吉神像は、神さまの像ということで廃仏の影響なく伝来したのだと思われる。
ただし、この像はもともと鶴岡八幡宮にあったのではなく、逗子市小坪の住吉神社にまつられていたものだそうだ。
住吉神は海の神である。鎌倉の海にほど近い場所で、航海の安全を見守ってきたのだろう。
近世以後に源頼朝を祭神とする八幡宮の末社の白旗神社に移され、安置されていたという。
拝観の環境
宝物殿はそれほど広くはないが、神輿をはじめ絵画、彫刻、工芸が展示されている。ガラスケース越しだが、近くよりよく拝観できる。
神像の印象
広葉樹の一木造で、像高は130センチほどの倚像(こしかけた像)である。
頭巾を着け、あごにひげをたくわえ、靴を履く姿は、絵画作品の住吉神でよく見られるものだが、彫刻としての像はたいへん珍しい。
鎌倉時代から南北朝時代くらいの作と考えられている。
顔は長く、目鼻は大きくあらわす。額にしわをよせ、まゆげは大きい。目は仏像の天部に見られるようなしん目であり、慈悲深いというよりは時として荒々しい神の性格をあらわしているのであろうか。口もきびしく閉じている。力強さを感じる神の像として、とても印象深い。
衣服は誇張なく自然であるが、どことなく異国風な感じを出す。
腹も自然な感じでかっぷくのよさを出す。足は、膝からももにかけてが短く(薄く)つくられている。
さらに知りたい時は…
『大遣唐使展』(展覧会図録)、奈良国立博物館、2010年