興福院の菩薩頭、普賢菩薩像
箱根権現別当寺の旧仏

住所
箱根町元箱根26
訪問日
2010年10月24日
拝観までの道
興福院(こうふくいん)は芦ノ湖の湖畔、「元箱根」バス停の近くにある。
拝観は事前予約必要。
→ 箱根登山バス
拝観料
志納
お寺や仏像のいわれ
現在は曹洞宗寺院だが、もとは箱根権現(現・箱根神社)の別当寺・金剛王院東福寺の子院として室町時代に創建された真言宗寺院だった。
近代初期の廃仏で東福寺が廃絶すると、多くの仏像や仏具は焼却されたというが、その一部が興福院に移された。ご住職の話では、屋根裏に隠されていたそうだ。
正確な記録がないのは残念だが、本堂の左手の弘法堂にずらりと安置されている仏像の多くが東福寺の旧仏と考えられる。
拝観の環境
堂内で、間近に拝観させていただける。
仏像の印象
弘法堂の中でひときわ目を引くすばらしい仏像は、木造菩薩頭と木造普賢菩薩坐像である。ともにガラスケース中に安置されている。
菩薩頭は、要するに仏頭である。如来形でなく菩薩形の頭部であるので、菩薩頭と称している。
頭頂から顎までの高さは約40センチ。向って右側、左目の半分から外側や後頭部も失われ、また残されている部分も破損が進むが、残された顔の右面はきわめて美しい。
大きく結った髻や天冠台は精緻に彫られている。目鼻だちはよく整っている。像の痛みのためもあって、憂いを帯びているようにも感じる。ほおは豊かに張っている。
きれいに内ぐりされ、整った寄木造の像であったことがうかがえ、おそらく平安時代後期の作。
普賢菩薩像は、像高約50センチの坐像。寄木造、玉眼。
像底に銘文があり、箱根権現の脇社であった能善権現の本地仏であること、鎌倉後期の1297年に箱根社の別当尊実によってつくられたことがわかる。
顔つきはきりりとして理知的、まげは大きめで美しく結い上げられている。天衣は肩に豊かにかかる。
膝の下で裳がくねくねと曲線を描いているのは、裙の折り返しが微風になびく表現だろうか。衣の線が重なりあっているさまは技巧的である。
その他
厨子入りの千手観音像は像高約1メートルの立像。寄木造、玉眼。
全般に素朴な表現で、卵型の顔が印象的な像である。
像内より銘文が見つかり、1558年に鎌倉仏師長勤(ちょうごん)の作とわかった。長勤は関東を中心に作品をいくつか残しているほか、静岡の建穂寺(たきょうじ)の秘仏本尊・千手観音像の作者としても知られる仏師である。
さらに知りたい時は…
『足柄の仏像』(展覧会図録)、神奈川県立歴史博物館、2023年
『早雲寺』(展覧会図録)、神奈川県立歴史博物館、2021年
『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇』15、中央公論美術出版、2019年
『鎌倉×密教』(展覧会図録)、鎌倉国宝館、2011年
『興福院と賽の河原』、箱根町立郷土資料館、1988年
『かながわの平安仏』、清水真澄、神奈川合同出版、1986年
『西湘の仏像』、小田原市郷土資料館分館・旧松永記念館、1980年
『箱根の文化財』13、箱根町教育委員会、1978年
『神奈川県文化財図鑑 彫刻篇』、神奈川県教育委員会、有隣堂、1975年
