称名寺仁王門の金剛力士像
東日本を代表する仁王尊

住所
横浜市金沢区金沢町212−1
訪問日
2009年12月12日、 2010年5月2日
拝観までの道
横浜駅から京急本線の快速特急で南へ約15分。金沢文庫駅で下車し、東口から国道16号線を越えて東に徒歩10分くらいで称名寺の赤い門に着く。門をくぐって、何軒か食堂がならぶ参道を抜けると、正面が仁王門である。
金沢シーサイドラインの海の公園柴口駅、海の公園南口駅からも徒歩10分くらい。
拝観料
仁王門は拝観自由。境内も無料で拝観できる。
お寺やのいわれ
称名寺の前身は13世紀半ば、北条氏の一門である金沢(かねさわ)実時が創建した阿弥陀堂という。その後下野薬師寺から審海を開山に迎え、金沢北条氏の菩提寺として栄えた。
2代めの剱阿(けんあ)の時に、浄土式庭園はじめ伽藍が整えられた。
鎌倉幕府滅亡後は次第に衰微したものの、今日まで多くの寺宝を伝えている。金堂と仁王門は江戸時代の再建。庭園は1987年に復元整備された。
拝観の環境
仁王像は門の左右に斜め内側を向いて立っている。門内は柵で立ち入りができないようになっていて、金網越しでもあり、やや見づらいがなんとか拝観できる。
なお、称名寺は春、ゴールデンウィーク中と大晦日〜正月にかけての各数日間、伽藍がライトアップされる。その際には仁王像にも照明が当てられ、たいへんよく拝観できる。
(ライトアップについての問い合わせは、金沢区役所地域振興課生涯学習係へ)
仏像の印象
仁王像は阿形、吽形とも像高4メートル弱。門を守る仁王像は等身よりも大きな像が多いが、それでも4メートルもの像高をもつものは少ない。この称名寺の仁王像は東日本の仁王像の中でも有数の巨像である。
ヒノキの寄木造。玉眼。
安定感ある像である。顔の怒りの表情もやや抑え気味で、筋肉の盛り上がる様子、腰のひねり、衣の裾が風にひるがえるさまなど、あくまで誇張を避ける。頭と体のバランスもよく、細部まで神経が行き届いて、優れた像と思う。
仏師について
1970年に解体修理が行われ、像内より墨書銘が発見された。それによると、造像年は鎌倉末期の1323年。願主は称名寺2世の剱阿で、作者は大仏師として法印院興、そのほか院救、快勢、長賢らと知られる。
この時期は、まさに称名寺の伽藍が整備された時期である。
仏師の院興は、これより15年ほど前の1308年、同じ称名寺の清凉寺式釈迦如来像(院保作)の造像銘中に名前があり、そうした金沢北条氏と院派仏師とのつながりでこの仁王像の制作を任されたと考えられる。
他の院興作の仏像としては、鎌倉の覚園寺に客仏としてまつられている阿しゅく如来坐像(1322年)や、京都・妙覚寺の日蓮上人像(無年記)がある。
最近あらたに「称名寺聖教」の紙背文書より、院興が称名寺の仁王像制作に起用された経緯がわかる文書が見いだされた(順忍書状)。
その他
称名寺とその子院には多くの仏像が伝わっている。金堂本尊は弥勒菩薩立像(1276年)。金銅造の愛染明王像(鎌倉時代)は像高わずか6センチ余りの極めて精巧なつくりの像。子院・光明院には近年運慶作と知られた大威徳明王像が伝来する。しかしこれらは残念ながら通常非公開。
境内の西側には金沢文庫に通じる通路がある。
金沢文庫は金沢北条氏によって収集された典籍の保管庫として鎌倉後期に創設されたが、現在はその伝統を受け継ぐ形で県立の中世博物館となっている。
金沢文庫の展示室では、称名寺本尊の弥勒菩薩像のレプリカ(復元像)が常設展示されている。また、寄託されている称名寺釈迦如来像(清凉寺式、上述の院保作の像)が割と頻繁に展示される。
さらに知りたい時は…
『国宝でよみとく神仏のすがた』(展覧会図録)、神奈川県立金沢文庫、2016年
『仁王』、一坂太郎、中公新書、2009年
『中世の世界に誘う仏像 院派仏師の系譜と造像』(展覧会図録)、横浜市歴史博物館、1995年
『神奈川県文化財図鑑 補遺篇』、神奈川県教育委員会、1987年
「称名寺 金剛力士立像躰内銘」(『金沢文庫研究』242、243)、前田元重、1976年12月、1977年1月
『称名寺木造金剛力士立像修理記録報告書』、横浜市教育委員会、1971年