白山神社の毘沙門天像
9月第1日曜日、祭礼の日に開扉

住所
鎌倉市今泉3−13−20
訪問日
2010年9月5日
拝観までの道
鎌倉の名刹、建長寺や覚園寺の北側の尾根道は、ハイキング好きには人気のコースで、鎌倉アルプスなどと呼ばれる。白山神社のある鎌倉市今泉はそのさらに北側にある。
交通は、大船駅東口のバスターミナル5番乗り場から江の電バス鎌倉湖畔循環に乗車し、「白山神社前」下車。バスの進行方向へ100メートルほど行った左側、石段を上ったところにある。
→ 江の電バス
毘沙門天像は秘仏で、年1度、9月第1日曜日の祭礼に開扉される。
拝観料
特に拝観料等の設定はなかった。
仏像のいわれ
ご本殿はもと今泉寺というお寺の毘沙門堂であったが、近代初期の廃仏を経て、白山神社に併合されたのだという。
江戸期の史料によると、この神社の毘沙門天像はもと鞍馬山にあった行基作の2躰の毘沙門天像のうちの1躰で、1190年に頼朝が上洛した折にこの像を得てこの地に安置したという。頼朝の上洛は史実だが、その他の部分はどこまで本当のことかはわからない。しかし鞍馬山からもたらされた像であるかどうかはともかくも、京の北の守りである鞍馬山にならって、鎌倉の北の守護の役割として毘沙門天像が置かれたというのはありうることと思われる。
江戸時代の史料にも「秘してみだりに拝することを許さず、別に前立を置く」と記され、すでに厳重な秘仏であったことがわかるが、現代においても、「見ると目がつぶれる」等、むやみに見ることが諌められてきたとのこと。
拝観の環境
毘沙門天像の開扉は、祭礼終了後の短時間である。
筆者は14時すぎに着いたが、お練りも終わって境内に神輿が据えられ、お堂の中での神事に移っていた。祭礼の最後に神楽の奉納、高齢者へのプレゼント贈呈等があり、その後に開帳となった。時間は15時過ぎくらいで、ご開帳は15分から20分間程度、その場に集まっていた人が一通り拝観を終えると終了し、扉は閉められた。
お堂の奥、中央は神の座だが、その向って右には簡素な厨子がしつらえてあり、前立ちに毘沙門天像、吉祥天、童子の三尊像が安置されている。これらは室町時代の作と考えられている。
神社の方がこのお前立ち像を脇に動かし、厨子の扉を開くと、秘仏の毘沙門天像が姿をあらわした。お堂の中は光がよく入って明るく、すぐ前でよく拝観できる。
仏像の印象
兜跋毘沙門天として伝えられるが、地天に乗るなどの兜跋像の特色はみられない。足下の邪鬼は後補だが、足の開きが左右対称でなく、もともと地天でなく邪鬼に乗っていたように思われる。
像高は約160センチの立像。クスノキの一木造。平安時代の像である。
若干膝や腰をひねるが、ほぼ直立に近い。腰のくびれもあまりなく、左右の手の位置もどことなく控えめである。目は大きく開く。まげは高くはないが、2つの塊に結っていて、存在感がある。鎧はあまり装飾的でなく、素朴な感じだが、腹につけた顔の文様はなかなか力強い。
全体に素朴だが、いかにも霊像と思わせる不思議な雰囲気を持つ魅力的な像である。
左足ほぞと台座の裏に墨書銘があり、江戸中期の1707年に鎌倉仏師加納数馬が修理したことが記されている。
なお、堂内にはこのほかに数躰の破損仏も安置されている。
その他(今泉不動の仏像について)
白山神社から東へ10分ほど行くと、クリーンセンター(焼却場)の先に称名寺(今泉不動)という浄土宗のお寺がある。
本堂の本尊は阿弥陀三尊とそれに付き従う来迎の菩薩立像、あわせて27躰で、小さな須弥壇にひしめくようにして並び、壮観である。近世の作。
拝観は事前連絡が望ましい。志納。
さらに知りたい時は…
「謎を秘めた仏たち9 鎌倉の護り白山神社』(『目の眼』233)、川尻祐治、1996年2月
『かながわの平安仏』、清水真澄、神奈川合同出版、1986年
『鎌倉の文化財』第3集、鎌倉市教育委員会、1972年
