日向薬師(宝城坊)の諸像
平安〜南北朝の仏像が立ち並ぶ

住所
伊勢原市日向1644
訪問日
2006年4月15日、 2020年11月8日
この仏像の姿(外部リンク)
拝観までの道
小田急線の伊勢原駅北口より日向薬師(ひなたやくし)行きの神奈中バスで20分あまり。バスは1時間に2〜3本程度である。
終点で下車し、バスが来た道をほんのわずか戻ると参道の入口がある。5分程行くと仁王門。そこからは足場の厳しい上りとなるが、5分強で本堂につく。
なお、仁王門の仁王像は江戸時代の再興像だが、3メートル半もの大きさの力強い像。
雨天時は拝観できないようだ。天候によっては問い合わせてからうかがうとよいと思う。
拝観料
宝殿(宝物殿)の拝観料は300円
お寺や仏像のいわれ
かつてここは日向山霊山寺という大寺で、頼朝、政子も信仰を寄せたというが、その中の1坊のみが残った。これが宝城坊で、日向薬師とも呼ばれ親しまれている。
失われた諸坊から移坐されたものであろうか、かつて本堂(薬師堂)の壇上にはひしめくように仏像が安置されていたようだが、今は隣の耐火建築による「宝殿」に移されている。本尊の薬師三尊像も厨子ごとここへ移されている。ご開帳日以外は厨子の扉は閉じているが、その他の鎌倉・南北朝期の仏像は拝観できる(悪天候時は除く)。
拝観の環境
近づいてよく拝観できる。堂内には照明もあり、またお堂自体が南面しているので、外からの明かりも入って拝観しやすい。
仏像の印象
宝殿に入ると、右に薬師三尊像、左に阿弥陀如来像が向かい合う。正面が秘仏の厨子。その回りに四天王像が安置され、さらにその左右に十二神将像がならび、壮観である。
薬師三尊像の中尊は像高235センチの坐像で、平安後期の安定した像容を受け継ぎつつも、鎌倉時代の引き締まった表情である。カヤの寄木造。脇侍も2メートル半を超す像であるが、これだけの巨像でありながら威圧感がなく、引きつけられる美しい像である。衣の線は中尊に比べより自由であり、材もヒノキと中尊像と異なることから、もとは別の像の脇侍であった可能性もある。
阿弥陀像は像高270センチあまりの丈六の坐像で、高い台座(後補)に乗っているため、ずいぶんと見上げなければならない。全体の印象として薬師三尊像の中尊に比べて茫洋としている印象だが、時期としては同じ鎌倉前期ころのものであろう。左肩からの衣文が流麗である。
これだけの像がかつてはそれぞれの堂宇に安置されていたのかと思うと、中世のこの寺の繁栄ぶりが偲ばれる。
四天王像も鎌倉期の作で、ヒノキの寄木造。像高は180センチを越える。邪鬼を加えた像高は2メートル強となる大作で、迫力がある。
前方の持国天、増長天上は口を開き、片手は上まで上げ、後方の多聞天、広目天は口を閉じ、手は中程まで上げる。このように左右ぼ対称を意識しながら、変化をつけてゆく四天王は、おそらく鎌倉初期の東大寺大仏殿復興で慶派が用いた形式で、以後多く用いられていくところであり、そうした像の中で早い時期の傑作といえる。前方の二天はやや姿勢に誇張が見られるが、後方の二天は安定感がある。ただし、後方の二天はやや見えづらい。
十二神将はほぼ等身大像で、やはりヒノキの寄木造である。四天王に比べて体つきや表情に固さが感じられ、少しあとの作と思われる。境内の銅鐘は南北朝時代の1340年の年記を持つものだが、その銘文の末尾に「勧請十二神将」と見え、これがこの十二神将像を指していると考えられる。仔細に見ると腰の動き等、なかなか動的で魅力的である。
秘仏薬師三尊像について
秘仏の薬師三尊像は1年に5日間、1月1日〜3日、1月8日、4月15日の開扉である。4月15日はこの寺の大祭であり、法要ののち12時ごろからの開帳である(お正月のご開帳は午前中から)。
筆者は2006年の4月のご開帳の際にこの寺を訪れたが、前には花やら明かりやらが置かれ、かなり拝観しづらい。その周りには机、椅子。この際致し方ないと、机から上体を乗り出し、お花の下をかいくぐらんばかりの姿勢になって拝観させていただいた。中尊はともかく、厨子の内側左右に電灯が引かれていることもあり、脇時の菩薩はまあまあ拝観できる。非常に可憐で優美な像である。鑿目を残す鉈彫りは荒々しい造型だというのは先入観にすぎず、実は柔らかで優しい印象を与えるということを知った。
材はカツラ。製作年代は10世紀半ばにさかのぼり、鉈彫り彫刻中最古の作品であるという。
その根拠となるのは、次の3点。
まず、中尊の台座の形式が他の9〜10世紀の仏像のものと共通すること。次に、境内の14世紀の銅鐘の銘文に、初代の鐘は10世紀半ばのものであったとあり、このころ寺が整ったと推定すれば、仏像の年代もこの頃と推定できる。最後に、11世紀前半の歌人相模の和歌にこの仏像と思われる薬師如来を讃えたものがあり(『相模集』)、その頃までにはすでに広く信仰を集めていたと考えられることがあげられる。
本堂安置の十二神将像
日向薬師の本堂は、2010年から2016年にかけて大修理が行われた。
日向薬師には宝殿安置の等身大の十二神将像のほか、もう一組の十二神将像が伝来し、本堂内に安置されていたが、本堂修理時には宝殿に移されていた。現在は再び本堂中央に安置されている。拝観位置からはやや距離があるが、ライトがつけられており、よき拝観できる。できれば一眼鏡のようなものがあるとよい。
大きさは、60センチ〜70センチ強。ヒノキの割矧ぎ造。時代は平安後期と推定されるが、うち2躰は江戸時代の補作である(3号像と12号像。ただしこれら2躰も頭部は当初の作であるとのこと)。
この十二神将像は、1164年に定智(じょうち)という絵仏師が唐本を模写して描いたという「定智本十二神将像」をモデルにつくられたのではないかと考えられている。十二神将像は多くの場合、どのような姿形の像を組み合わせるのかは多様であり、「これをモデルにしたセットだ」と断定できるものは少ないので、この日向薬師の小さな方の十二神将像は貴重な造像例といえる。
その他
秘仏薬師三尊像の精巧なレプリカが神奈川県立歴史博物館で常設展示されている。特に、脇侍像の背中の鉈彫りの様子がよくわかる。
さらに知りたい時は…
「特集 運慶と鎌倉殿の仏師たち」(『芸術新潮』871)、2022年7月
『日向薬師』(展覧会図録)、神奈川県立金沢文庫、2015年
『関東の仏像』、副島弘道編、大正大学出版会、2012年
「宝城坊本堂十二神将像考」(『Museum』594)、山本勉、2005年2月
『十二神将』(展覧会図録)、神奈川県立金沢文庫、2004年
「宝城坊蔵 薬師如来像」(『国華』1285)、塩澤寛樹、2003年1月
『伊勢原の仏像』、伊勢原市教育委員会、2000年
『伊勢原市史 通史編 先史・古代・中世』、伊勢原市史編集委員会 1995年
『鉈彫』、久野健、六興出版、1976年
『神奈川県文化財図鑑 彫刻篇』、神奈川県教育委員会、1975年
『日向薬師』、渋江二郎、中央公論美術出版、1965年
