宝金剛寺と東学寺
小田原市東部の名刹

住所
小田原市国府津2038(宝金剛寺)
小田原市別堀74(東学寺)
訪問日
2010年10月24日
この仏像の姿(外部リンク)
宝金剛寺への道
宝金剛寺(寳金剛寺、ほうこんごうじ)は国府津(こうづ)駅の北北西。徒歩約20分。
以前は事前予約にて拝観させていただけたが、現在は毎年(隔年?)秋に行政が行っている文化財公開のときに拝観できる。問い合わせは小田原市役所の文化部文化財課。
志納。
宝金剛寺について
宝金剛寺のはじまりは、寺伝によれば空海の弟子によって開かれた地青寺といい、16世紀に現在の寺名となった。江戸時代には末寺31か寺を有する大寺であったそうだ。
本堂は関東大震災の被害のために失われ、元の護摩堂が現在の本堂となっている。
本堂中央には薬師如来像がまつられているが、本来の本尊はその脇に客仏のようにして安置されている地蔵菩薩像である。像高は約50センチの立像で、一木造。素木仕上げで、唇に朱をさす。小像だが、平安期一木彫の量感がある一方、素朴で親しみやすい雰囲気をもつ。
本来秘仏であり、厨子中に安置され、帳が下がっているために、ややお顔が見えづらいが、近くに寄って拝観させていただける。
収蔵庫の諸像
収蔵庫内には、大日如来像と不動三尊像が安置されている。内部は明るく、また間近から大変よく拝観させていただける。
大日如来像は像高約40センチの坐像。比較的珍しい平安末期ごろの銅造の仏像である。
胸前で忍者のような印をつくる金剛界大日如来。宝冠は失われている。髪は大きく結い上げ、顔立ちはすがすがしい。体躯は奥行きがあり、しっかりと三角形に張った脚部が支えて安定感がある。小像ながら優作である。
不動三尊像は、中尊は80センチ弱の立像、脇侍の童子像は約30センチ。寄木造で、玉眼を入れる。
両目を大きく開いて、腰は少しひねり、左足を斜め前に出す。表情や体つき、体勢に誇張したところがなく、品のいい姿の像と思う。
像内に納入品があり、鎌倉末期の1309年の造立と知られる。

東学寺への道
宝金剛寺の西北、御殿場線の線路をはさんで、徒歩約30分のところに東学寺がある。
最寄り駅は御殿場線の下曽我駅(徒歩20〜25分)。
拝観は事前予約必要。
東学寺の釈迦如来像
東学寺は臨済宗で、南北朝時代(14世紀後半)の創建。
本尊は清凉寺式釈迦像で、おそらく創建時以来の本尊と思われる。
顔立ち、頭髪、衣など、京都・清凉寺の釈迦如来像の特色をよく受け継いでいる。ただし像高は170センチ弱と、清凉寺の像よりひとまわり大きい。衣の襞(ひだ)はやや省略気味である。また、清凉寺の像は素地だが、この像は黒い色が塗られている(古色仕上げ)。記録によると江戸時代の19世紀後半に「再興」されたとあり、おそらくこの時に表面を塗られたのだろう。
手先、足先は後補。
本堂の中央、高い位置に安置され、見上げるようになるが、近くからよく拝観できる。
さらに知りたい時は…
『国府津山寳金剛寺」(展覧会図録)、鎌倉国宝館、2023年
『鎌倉×密教』(展覧会図録)、鎌倉国宝館、2011年
「国府津・宝金剛寺平安中期彫刻調査報告」(『清泉女子大学人文科学研究所紀要』29)、山本勉,・平野智子、2008年
『小田原の文化財』、小田原市教育委員会、2001年
『小田原市史 通史編 原始古代中世』、小田原市、1998年
「小田原市・宝金剛寺銅造大日如来坐像について」(『神奈川県立博物館研究報告ー人文科学』23)、塩澤寛樹、1997年
『小田原の仏像「銘文集」』、小田原市史編さん室、1994年
『神奈川県文化財図鑑 彫刻篇』、神奈川県教育委員会、有隣堂、1975年