光明寺の阿弥陀三尊像
中尊はおだやか、脇侍は人間味ある三尊

住所
鎌倉市材木座6-17-19
訪問日
2020年4月5日
拝観までの道
交通は逗子駅と鎌倉駅を結ぶ京急バス(鎌40系統)で「光明寺」下車。バスの乗車時間は逗子駅からは約20分、鎌倉駅(東口)からは約10分。下車するとすぐ前が光明寺の総門である。
拝観料
志納
お寺や仏像のいわれなど
光明寺は、徳川家康が関東で浄土宗の18の学問寺を定めた際の筆頭寺院であり、浄土宗のお寺の中でも重きをなす。
開祖は鎌倉時代中期の僧、良忠上人。
浄土宗の宗祖は法然、二祖とよばれるのが聖光上人弁長、その晩年の弟子で、三祖となったのが良忠である。比叡山で授戒、その後九州にて弁長の弟子となった。関東で浄土宗の教線拡大につとめ、鎌倉の悟真寺に入った。この悟真寺がのちに光明寺となったという。
拝観の環境
境内は大きなお堂をゆったりと配置し、豊かな空間となっている。大きな三門をくぐれば正面がこれまた大きな本堂、そして左手に開山堂がある。
本堂(大殿)は昨年(2019年)11月より保存修理のため工事中。半解体という大きなもので、10年がかりという。
その間は開山堂を仮本堂とし、本尊を移坐している。開山堂は堂内に上がって拝観できる。志納。
仏像の印象
阿弥陀三尊の中尊、阿弥陀如来像は約90センチの坐像。来迎印を結ぶ。
顔、上半身は大きめに、脚部は高さや抑揚を抑えてややおとなしめにつくる。
顔つきは若々しいが、全体的には穏やかで落ち着いた印象がある。衣のひだはゆったりと刻まれる。
平安時代の和様の穏やかさを残すが、鎌倉時代前期、13世紀中ごろの作と思われる。
脇侍像は像高約110センチの立像。
顔は小さめとし、目鼻口を中央に集め、仏の超越性というよりは人間味のある雰囲気を出す。体は細身で、胸や胴の抑揚は抑え、腰もひねりもあまり強調しない。下半身の衣は衣文線が弧を描かず、ばさりと自然にさがって、足の甲にぼてりとかかる。鎌倉時代後期風で、中尊とは時間差が感じられ、のちに補われたものとも考えられる。
これらは外陣から拝観で、像まで距離がある。比較的おとなしい作風と距離によって、やや小さめに感じる。
その他
一方本像に向かって左側の間には良忠上人像をはじめとする祖師の像や如意輪観音像などが安置されている。狭いところにぎっしりと詰め込まれているようであるが、このお堂は本来開山堂なので、祖師像は本来は中央の壇上に安置されているのかもしれない。本堂の修理が終わるまでの間、がまんしてくださっているのだろう。
その中では寂恵良暁の像が存在感があり、目を引く。意志の強そうな顔立ちで、端然として座っている姿である。もと後補の彩色に覆われていたそうだが、近年の修復で面目を一新した。
この方は良忠上人の弟子で、あとを継いで光明寺の2世となり、鎌倉時代末期の1328年に亡くなった。肖像は亡くなってからあまり時間がたたない時期につくられたと考えられている。
さらに知りたい時は…
『大本山光明寺と浄土教美術』(展覧会図録)、鎌倉国宝館、2009年
