保木薬師堂の薬師如来像
9月第2土曜日に里帰りする仏像

住所
横浜市青葉区美しが丘西2−7−2
訪問日
2009年9月12日
この仏像の姿(外部リンク)
拝観までの道
保木(ほうぎ)薬師堂へは、東急田園都市線のたまプラーザ駅から東急バス「た31」系統または「柿01」系統で「保木薬師前」にて下車し北へ。または、あざみ野駅から東急バス「あ29」系統で「桜アベニュー」で下車し東へ。いずれも徒歩3〜4分で着く。
なお、お堂の呼び方は「ほうぎ」だが、バス停の呼び方は「ほぎ」であるらしい。
薬師堂の本尊の薬師如来像は、通常は神奈川県立歴史博物館に寄託され、年1度里帰りする。以前は9月12日と決まっていたが、いただいた情報によると2018年より9月第2土曜日となったとのこと。
拝観料
特に拝観料の設定はなかった。
お堂のいわれ
江戸後期の史料である『新編武蔵風土記稿』にはこのお堂と像のことが見えるので、少なくともそのころからはここでまつられてきたことは確かであるが、それ以前の伝来は不詳である。
拝観の環境
毎年9月12日の午前(10時半から11時ごろ)、博物館から輸送車で仏像が戻ってくる。梱包の状態でお堂の正面から運び入れ、堂内で梱包を解いて仮安置する。その際、博物館の方からの説明がある。そのあとお堂の中央の厨子の中に納める。
夜に入って護摩炊きがあるそうで、それまでの間厨子の扉を開けて拝観ができるようにしているようだが、間近から拝観できるものの、厨子の中は顔が陰になり、あまり見えやすい状態ではない。
仏像が到着して厨子に納められるまでの時間に来て拝観するのがよいと思う。
仏像の印象
像高約85センチの坐像でヒノキの寄木造。玉眼だったが失われ、目の部分が細く抜けている。遠目では気にならないが、近くで拝観するとやや痛々しく感じる。
このあいた目のところから頭部内に銘文があるのが見つかっている。ただし、限られた視野なので、全文は読むことができていないという。それによれば、制作年は鎌倉前期の1221年、作者は尊栄という仏師とわかる。願主の名はわからない。
この尊栄という仏師については他に知られない。しかし鎌倉前期の基準作として本像は極めて貴重である。
全体にバランスがよい像と思う。また、頬の張り、深めにまたやや賑やかに刻まれた衣文、ゆったりと頼りがいある胸など、この時代らしさがある。しかし、膝の高さは低く、足をくるむ衣の襞(ひだ)は定型化し、腕が細いことなど、同時代の慶派作品と比べるとおとなしい感じは否めない。
螺髪はカツラ状に取り付けられていて、個々の粒は大きめ。やや不自然な感じで、後補であるのかもしれない。
その他1
頭部内には江戸前期の1670年の修理銘も書かれている。また、このときに納入されたと思われる巻物1巻も確認されている。
厨子は簡素だが、江戸中期1732年の銘がある。
お堂の棟札には1707年などのものが伝わる。
厨子の左右には江戸期の作と思われる二天像が安置されている。
その他2
通常寄託されている神奈川県立歴史博物館では、毎年2ヶ月間くらい常設展示室で展示されているとのこと。お問い合わせを。
さらに知りたい時は…
『横浜の仏像』(展覧会図録)、横浜市歴史博物館、2021年
『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇』3、中央公論美術出版、2005年
『神奈川県文化財図鑑 補遺篇』、 神奈川県教育委員会、1987年