青岸寺の聖観音像、十一面観音像

  聖観音像は南北朝時代、円派仏師の作

住所

米原市米原669

 

 

訪問日 

2010年1月30日

 

 

この仏像の姿(外部リンク)

青岸寺ホームページ・青岸寺について

 

 

 

拝観までの道

米原駅東口から中山道(国道8号線)を越えて東へ。「中二通り」と看板が掲げられているなだらかな上り坂の細道を行くこと5分。突き当たりは神社。その左側が青岸寺(せいがんじ)である。

 

 

拝観料

300円

 

 

お寺のいわれ

お庭が有名なお寺である。

奥の切り立った裏山を背景とする枯山水庭園で、複雑な石組みを配し、冬の時期には木に雪吊りをかけて、風情ある景色を見せている。

仏像は本尊・聖観音像と十一面観音像を伝える。

 

青岸寺の前身は米泉寺という寺院で、南北朝時代にバサラ大名と異名をとった佐々木道誉が開いたとの伝承がある。この寺が戦国時代に兵火で焼失したことを惜しみ、江戸時代初期、彦根の大雲寺の僧によって復興されたものが現在の青岸寺という。青岸という名は、この時再興に尽力した伊藤五郎助という人物の諡(おくりな)から取ったそうだ。

 

 

本尊・聖観音像

本尊の聖観音像は14世紀、讃岐法眼堯尊(ぎょうそん)という仏師によってつくられた像である。

本堂中央の厨子中に安置され、かつては秘仏であったらしい。

少し高い位置にあるが、ライトもあって、よく拝観できる。

 

像高は約80センチの坐像、ヒノキの寄木造、素地で仕上げる。

体に比べて頭が大きく、顔は四角ばり、大きめの鼻、小さい口、肉付きよい顎など、強い印象を与える像である。いかめしさと親しみやすさが奇妙に同居し、性別を超越した如来の姿はかくもありやと思わせる魅力ある仏像と思う。衣の襞(ひだ)の彫りは手慣れた感じである。膝で波打っているのは裙の折り返し部分なのか、宋風の表現と思われる。

像内に墨書銘があり、この像が米泉寺本尊としてつくられたこと、「作者」として「三条門弟讃岐寳(法)眼堯尊」の名、永和2年の年などが書かれる。三条門弟とは京都三条に仏所を構えた円派仏師に連なる者の意味と思われる。当時は南北朝時代で、永和2年は北朝方の元号であり、1376年にあたる。

 

 

十一面観音像について

脇のお部屋で厨子に入って安置されている十一面観音像は、像高60センチ弱の立像。針葉樹を用いた一木造で、内ぐりはない。もと本尊の前立ち仏として、本尊の厨子の前に安置されていたそうだ。鎌倉時代後期頃の作。

すぐ前からたいへんよく拝観できる。

 

ほぼ直立し、細身の大変美しい像である。

特に下半身が長い。細身の上に腰はさらに絞っている。素地をあらわしているが、もともと素木で仕上げられていたのかもしれない。

面長で切れ長の目が印象的である。肩にかかる天衣や足首にかかる裳の裾は、ゆったしとしている。また、衣の襞(ひだ)はあまり刻まない。

ほぼ直立と書いたが、よく見ると体にひねりが入っているというか、わずかに頭、胴が曲がっている。木の性質を生かしながら彫った結果かもしれない。

像の髪際や腹部中央にある小さな穴は、制作にあたってバランスをとるための目印であるらしい。しかし、この像は仏師が持てる技を尽くして制作したというよりも、木の性質を見極め、本来木の中にあった仏を自然に世に出した、そんな像ではないかと感じた。

 

 

さらに知りたい時は…

『みーな』111、長浜みーな編集室、2011年7月

『米原町史 通史編』、米原町史編さん委員会、2002年

『近江路の観音さま』(展覧会図録)、滋賀県立近代美術館ほか、1998年

『近江の歴史と文化』、思文閣出版、1995年

 

 

仏像探訪記/滋賀県