西教寺の阿弥陀如来像
天台真盛宗大本山の本尊

住所
大津市坂本5-13-1
訪問日
2018年8月13日
この仏像の姿は(外部リンク)
拝観までの道
西教寺(さいきょうじ)は、比叡山の東麓の地、坂本にある名刹である。
交通は京阪鉄道の石山坂本線の終着駅である坂本比叡山口駅から北へ徒歩20~25分。JR湖西線の比叡山坂本駅や比叡山への坂本ロープウェーの登り口であるケーブル坂本駅からは徒歩30分くらい。
門前にバス停もあるが、本数は多くない。
総門から150メートルくらいの参道の坂道を上り、正面の勅使門の脇の石段を上ると本堂前に出る。
拝観料
拝観は本堂内だけであれば無料。
客殿や書院も拝観するのであれば、本堂うしろの本坊で申し込む。一般500円。
お寺や仏像のいわれなど
天台宗には比叡山延暦寺の山門、園城寺(三井寺)の寺門、そして西教寺と3つの大本山がある。西教寺の天台真盛宗は天台宗の中でも浄土教の要素が強いのだという。
草創は不詳だが、平安時代の中期頃、浄土教信仰の高まりの中、天台宗の念仏道場として出発したとされる。鎌倉時代の末頃に再興され、その後室町時代の中期には再び荒廃して、僧衆の数も1~2名となっていたという。1488年に真盛(しんせい)上人が入寺し、復興につとめた。
信長による比叡山焼き討ちの際には西教寺もすべてが焼かれたが、明智光秀など有力武将の後援もあって再興された。
江戸時代を通じて天台宗真盛派として栄え、近代になって独立した宗派となった。
本尊の阿弥陀如来坐像は、本来は甲賀地方の浄福寺(詳細未詳)にあった像で、信長の焼き討ち後に移されてきたものという。
拝観の環境
本堂は、信長の焼き討ちののちに再建されたお堂を、江戸時代中期になって建て直したもの。丈六仏をまつるお堂としてふさわしい堂々したつくりである。
本尊の阿弥陀如来像は、堂内外陣からの拝観のため、やや距離があるが、明かりもありよく拝観できる。
仏像の印象
阿弥陀如来像は像高約280センチの坐像で、寄木造、彫眼。手は定印を結ぶ。台座は後補だが、光背は当初部分が多いそうだ。
平安時代末期ごろの定朝様式の仏像である。
肉髻を大きくつくり、目は切れ長。眉を美しくあげている。
胸を大きくつくり、堂々としている。衣の流れも美しい。
表面の金箔は後補であり、その影響かやや硬い感じがあるものの、全体にとてもよく整ったお像と思う。
さらに知りたい時は…
『西教寺と天台真盛宗の秘宝』(展覧会図録)、大津市歴史博物館、1994年
『延暦寺・園城寺と西教寺』(『日本古寺美術全集』10)、集英社、1980年
『西教寺』(『古寺巡礼近江』5)、淡交社、1980年