石馬寺の諸像
宝物庫にならぶ平安、鎌倉の諸像
住所
東近江市五個荘石馬寺町823
訪問日
2010年5月9日
この仏像の姿(外部リンク)
拝観までの道
JR東海道本線(琵琶湖線)の能登川駅から八日市駅行き近江バスの乗車し「石馬寺」下車。西へ徒歩10分くらいでお寺の入口(門の礎石が残る)に着く。
バス以外の行き方としては、駅のそばにある自転車屋さんでレンタサイクルを行っているので、これを借りる手がある。
門の跡のところからは石段となる。のぼる時間は5分くらいだが、厳しい坂で、登り口には貸し出し用の杖が置いてあるほど。
途中「亡者の辻」とか「始終苦(四十九)坂」と名付けられたポイントがあり、小さな石塔が左右に立ち並んでなかなか凄まじい光景だが、登りきるとそこには気持ちのよいお寺の景色が広がっていた。
仏像は宝物庫に安置されていて、月曜日は拝観お休み。
拝観料
500円
お寺のいわれ
石馬寺(いしばじ)は聖徳太子ゆかりのお寺と伝える。
天台宗である時代が長かったが戦国時代に焼かれ、秀吉によって寺領が没収されて寺は衰微した。江戸時代になって復興、以後臨済宗寺院として現在に至っている。
仏像は2000年に完成した宝物庫で拝観できる。
阿弥陀如来像、十一面観音像2躰、二天像2組、大威徳明王像は平安仏、そして鎌倉時代の役行者・前鬼・後鬼像が安置されている。
拝観の環境
宝物庫の中はライトがあって明るく、よく拝観できる。
石馬寺の平安仏
正面中央に安置されている阿弥陀如来坐像は丈六の堂々たる像である。定印を結ぶ。寄木造。
斜め横から見ると案外に側面は厚みがあるが、正面からは顔、体ともに平板な印象がある。姿勢よく、顔はやや下に向く。螺髪は小粒で、髪際はほぼ一直線、肉髻は大きくあらわされる。
十一面観音立像2躰は阿弥陀像の左右に安置される。像高は向って左の像は180センチ弱、一木造で内ぐりがある。張りのある丸い顔、また太い髪の束が耳を横切る様子などなかなか魅力があるが、体躯や衣文の線は穏やかでおとなしい。
本尊に向って右に安置される像は、像高170センチ弱、一木造で内ぐりなく、衣の襞(ひだ)は深く彫られて、古様さを見せる。襞には翻波式が見え、また渦巻くような文も配置される。左肩からの天衣は上半身を斜めに横切り、右肩からの天衣がそこにぼてっと下りてきて、個性的である。腰は左にひねって、腹部には深くくびれをつくっている。
2組の二天像は、同じような姿で同じように鎧をつけているが、一方は200センチくらい、もう一組は160センチくらいの像高である。サイズの異なる似たような二天像が2組伝わった理由は残念ながらわからない。大きい像の方が鎧や紐の装飾が丁寧で、また腰のあたりも量感がみなぎり、優れているように思う。
大威徳明王像のみ横からの拝観も可能な位置に安置されている。意外に側面感は平板な印象で、顔つきも怒りの表情の中に素朴さが感じられる。牛に乗るが、右前足を今まさに立てて立ち上がろうとしている。その様子はなかなか動きを秘めて面白い。
石馬寺の鎌倉仏
役行者・本名小角は古代に実在した人物だが、中世以後修験道の開祖として信仰が高まり、多く像がつくられるようになった。この石馬寺の像は早い時期のもので、また比較的大きな像である(等身大よりすこし大きめ)。寄木造。
もと行者堂というお堂に安置されていた。宝物庫ができるまでは秘仏で、毎年春と秋に開扉されていたという。
老相、痩身で、頭巾をかぶり、顎にひげをたくわえる。岩に腰掛け、高下駄をはいている。衣の上、肩には蓑を着て、錫杖を持ち、口は閉じる。多くの役行者像に共通する姿であるが、表現がすぐれ、顔のしわやくぼみ、たるみ、胸元や下肢の骨の線が見えているところなど真に迫る。膝もとの衣の流れも心地がよい。 鎌倉彫刻の魅力にあふれる名像である。
前鬼、後鬼は50センチ弱の大きさで、盛り上がる筋肉の表現などすばらしい。
さらに知りたいときは
『解説版 新指定重要文化財3 彫刻』、毎日新聞社、1981年