盛安寺の十一面観音像
5、6、10月の土曜日などに開扉
住所
大津市坂本1−17−1
訪問日
2008年5月16日
この仏像の姿(外部リンク)
拝観までの道
盛安寺(せいあんじ)は、京阪電鉄石山坂本線の穴太(あのう)駅の北西徒歩約5分のところにある。
十一面観音像は本堂と道をはさんだ南側の収蔵庫(琵琶湖を望む東向きに建てられている)に安置されている。
正月3日間、ゴールデンウィーク中、そして5、6、10月の土曜日に扉が開けられ、拝観できる。
お寺や仏像のいわれ
盛安寺は創建は不明。戦国時代に越前の大名朝倉氏の家臣、杉若盛安(すぎわかせいあん)によって再建され、以後この寺名になったという。
十一面観音像は客仏で、近くの崇福寺(廃寺。戦前の発掘調査で塔跡から舍利容器が発見された)から移されてきたという伝承をもつ。
なお、井上靖の小説『星と祭』にこの観音像のことが書かれている。
拝観の環境
筆者がうかがった時には、扉口からの拝観で、特に拝観料等の設定はなかった。
収蔵庫内は照明がつけられているが、像まではやや距離があり肉眼では細部までは分かりにくいので、一眼鏡のようなものがあるとよいかもしれない。
仏像の印象
像高は約180センチの立像で、ヒノキの一木造。手が4本の十一面観音像である。
6世紀から8世紀にかけて、十一面観音像に関する4つの経典が漢訳されたが、そのうちの8世紀半ばに不空によって訳された『十一面観自在菩薩心密言念誦儀軌経』には4本腕の像の姿が説かれている。
この像では2本は合掌し、あとの2本で蓮華と錫杖をとっている。ただし、この像の手先は後補(ほかに仏頂面、足先、垂下する天衣は後補)。
丸顔で首は短く、上半身はどっしりしている。条帛の襞(ひだ)は細かく表され、裳の折り返しも縦の襞が賑やかである。その下に渦を巻く紋が刻まれ、また膝下の襞は力強いが、こうした衣文は平安前期彫刻の要素といえる。ただし、平安前期の仏像によく見られるボリューム感はやや減ぜられているので、平安中期頃の作と思われる。
顔つきは穏やかであるが、述べたように衣の襞はかなり賑やかで、そのために落ちついた姿の中に躍動感が秘められているような印象で、魅力ある像である。
その他
穴太は石積みを得意とする石工を輩出したところだそうで、この寺の石垣も見事な石組みでつくられている。客殿は伏見城の遺材で建てられたという伝承があり、また枯山水庭園も名高いが、これらの拝観は事前連絡が必要である。
さらに知りたい時は…
『聖衆来迎寺と盛安寺』(展覧会図録)、大津市歴史博物館、2020年
『大津 国宝への旅』(展覧会図録)、大津市歴史博物館、2010年
『比叡山麓の仏像』(展覧会図録)、大津市歴史博物館、2003年
『日本の秘仏』、コロナ・ブックス編集部編、平凡社、2002年
『近江路の観音さま』(展覧会図録)、滋賀県立近代美術館ほか、1998年
「康尚時代の延暦寺工房をめぐる試論」(『学叢』20)、岩田茂樹、1998年3月
『十一面観音像・千手観音像』(『日本の美術』311)、 副島弘道、1992年4月