浄厳院の阿弥陀如来像
像容がすばらしく、保存状態もよい

住所
近江八幡市安土町慈恩寺744
訪問日
2013年7月14日
この仏像の姿は(外部リンク)
拝観までの道
浄厳院(じょうごんいん)は安土駅下車、西南に徒歩約15分。
拝観は、事前連絡必要。
拝観料
300円
お寺や仏像のいわれなど
織田信長によってつくられたお寺である。浄土宗の寺院。
お寺がある慈恩寺という地名は、近江の名族・六角氏の菩提寺の名前が地名として残ったもの。信長上洛に際して六角氏は追われ、それ以前から衰退を余儀なくされていた慈恩寺も廃絶、その場所につくられたのが浄厳院である。
もっとも、浄厳院には前身となる寺院があった。それは金勝寺(現・栗東市)内の浄厳坊という小寺院で、信長が鷹狩りで金勝寺を訪れた際、その住持の徳を慕って安土に移るように勧めたと伝える。といっても信長のこと、かなり強引に進められたことのようである。
有名な「安土宗論」というのがある。1579年にここ浄厳院で行われた浄土宗と法華宗(日蓮宗)の宗論であり、浄土宗が勝ち、法華宗が弾圧される結果になったが、このことは浄厳院が信長の宗教政策にかかわるものであったことを端的にものがたっているように思われる。
本堂と本尊もまた、信長がその権勢をもって他寺院から移したものである。
本尊は丈六、それも平等院鳳凰堂本尊と同様に270センチをこえる大型の丈六坐像で、本堂もなかなか立派で大きなお堂なのだが、それでもサイズがあわず、光背の上部が苦しい。
本堂は興隆寺(現近江八幡市多賀町にあった天台寺院)の弥勒堂を移築したものという。本来内陣と外陣を格子で仕切る密教式本堂の形式であったが、その仕切りを低くする等の改造が加えられている。
本尊についてはいずれの寺院から来たのか、定説を見ていない。
なお、楼門は近年の修理で面目を一新したが、もとあった慈恩寺の遺構である可能性がある。
拝観の環境
近くより拝観させていただけるが、堂内は暗く、光背の細部までよく見るということは難しい。
仏像の印象
本尊の阿弥陀如来坐像についてはその来歴が知られないのがたいへん残念なのだが、像容のすばらしさと保存状態のよさの点で特筆すべき像である。
像高は約270センチ。平安後~末期につくられた本格的な定朝様の仏像である。
同時期の定朝様式の名像である浄瑠璃寺九体阿弥陀堂の中尊、法金剛寺本尊、法界寺阿弥陀堂本尊と比べて遜色ない。むしろ、浄瑠璃寺像はやや茫洋とした風貌、法金剛院像は伸びやかさに欠けてやや固い感じ、法界寺像は若々しさが強く出た顔つきであるのに対して、本像はくせのない造形で、平等院鳳凰堂の本尊により近いように感じる。
実に堂々とした像である。
本体はもちもん、光背、天蓋まで造立当初のものである。台座は一部当初のもの。とくにすばらしいのは、光背周縁部や取り付けられている化仏まで当初のものであることである。
さらに知りたい時は…
『平安密教彫刻論』、津田徹英、中央公論美術出版、2016年
『日本美術全集』4、小学館、2014年
『浄厳院の寺宝』(お寺発行の冊子)、2013年
「浄厳院阿弥陀如来像に就いて」(『国華』791)、井上正、1958年2月