櫟野寺と阿弥陀寺
平安時代の仏像の魅力たっぷり
住所
甲賀市甲賀町櫟野
訪問日
2015年4月25日
この仏像の姿は(外部リンク)
拝観までの道
甲賀市の古刹・櫟野寺(らくやじ)と阿弥陀寺は、琵琶湖に流入する野洲川の支流の杣川のさらに支流である櫟野川の北岸にある。
櫟野寺は甲賀駅北口から甲賀市コミュニティバス大原線(土・休日は運休)で「櫟野観音前」下車、すぐ。阿弥陀寺はそこから2~300メートル東にある。
最寄り駅は草津線の油日(あぶらひ)で、下車後北東に徒歩約35分。または、油日駅に配備されているレンタサイクルも便利。
櫟野寺について
天台宗寺院。
寺伝によると、最澄がイチイの木に十一面観音を刻んでこの地に安置したのにはじまるといい、そのため「いちいの観音」とも呼ばれ、親しまれている。
本尊の十一面観音像は一木造で像高3メートルをこえる坐像。秘仏で三十三年に一度の開扉だが、特別開帳として春秋の各3週間程度公開されている。
ほかにも多数の古仏を伝え、それらは本堂の裏手に接続する収蔵庫に安置されている。庫内でよく拝観できる。
拝観料は500円。ただし特別開帳期間は800円。
なお、こののち、お堂の改修のために仏像はすべて東京国立博物館に寄託される予定だそうで、来年(2016年)夏ごろから拝観が一時休止になるとのこと。2018年秋までに終了し、10月18日より大開帳行事を行い、拝観を再開するそうだ。
櫟野寺の仏像
秘仏の十一面観音像は、収蔵庫中央の厨子中に安置される。
座っている観音像としては日本最大といわれる。
下膨れで、若干クセのある面相、丸まるとしていかにも一木より彫り出した像と感じされる上半身、そしてそれをささえる脚部は左右に強く張り出して、安定感がある。平安時代中期ごろの作と思われる。
その向かって右側には薬師如来坐像が安置される。十一面観音像ほどではないが、像高2メートルを越える大きな仏像である。
面部はゆたかに張りがあり、はるか遠くを見る。
向かって左側に座っている地蔵菩薩像は像高約110センチ。こちらもややクセのある顔立ちで、上半身は高く、それに対して脚部は小さめにつくられている。
像内に墨書があり、1187年につくられたことがわかる。
この3像のまわりに多くの像が並ぶ。15躰以上になろうか。このほかにも東京国立博物館や大阪市立美術館に寄託している像もある。
破損している像、ノミ目を残した像、神の像と思われるもの、とても細身で背の高い像、目が垂れている像など、とても面白く、見飽きるということがない。
ほとんどが平安時代の古仏であるが、中に雰囲気の異なる如来像がある。南北朝時代の弥勒如来坐像で、1340年を示す年や仏師名などが書かれ、貴重な基準作である。
阿弥陀寺について
櫟野寺から東へほんの数分で阿弥陀寺に着く。
もとは天台の寺院だったが、戦国時代に兵火にあい、江戸時代に再興されて浄土宗寺院となった。
このお寺は拝観の事前予約を受け付けることはしていない。筆者は当日、甲賀駅に着いたところで電話でお願いしたところ、スムーズに拝観させていただくことができた。
ていねいにご案内くださり、堂内近くよりよく拝観させていただけた。
志納。
本尊の阿弥陀如来像について
本尊は阿弥陀如来像で、像高約110センチの坐像。一木造で背刳りをほどこす。
重厚な仏像で、平安前期、10世紀ごろの作である。定印の阿弥陀像の古像。
肉髻は高く盛り上がり、螺髪の粒は太い。力強い表情、唇には朱をさす。神護寺の薬師如来像を思わせる迫力がある。眉が角度をもって鼻筋から立ち上がり、上唇も力強く、目はあまり切れ長とはしない。そうした顔のつくりが強い存在感を放っているのだと思う。
面奥や胸板は厚く、脚部の衣の襞も緊張感がある。また右足先も大きく存在感がある。
堂内にはこのほか、向かって左奥に聖観音立像と薬師如来立像が安置されている。ともに一木造で、像高は1メートルほど。
また、向かって右の奥には古代の小金銅仏の誕生釈迦像が安置されている。
さらに知りたいときは…
『紫香楽宮と甲賀の神仏』(展覧会図録)、MIHO MUSEUM、2019年
「滋賀・櫟野寺の沿革と本尊十一面観音菩薩坐像」(『MUSEUM』675)、西木政統、2018年8月
『木×仏像』(展覧会図録)、大阪市立美術館ほか、2017年
『特別展 平安の秘仏 滋賀櫟野寺の大観音とみほとけたち』(展覧会図録)、東京国立博物館ほか、2016年
『里の仏』、藤森武、東京美術、1997年
『観音の里 櫟野寺』、櫟野寺発行、1996年
『解説版 新指定重要文化財3、彫刻』、毎日新聞社、1981年