尾山釈迦堂、石道寺、高野大師堂の諸像
高時川に沿って
住所
長浜市高月町尾山(尾山釈迦堂)
長浜市木之本町石道(石道寺)
長浜市高月町高野(高野大師堂)
訪問日
2014年7月19日
この仏像の姿は(外部リンク)
長浜・米原を楽しむ観光情報サイト・満願寺(高野神社) 石道寺十一面観音立像
拝観までの道
福井県との境に近い山間にはじまる高時川は、南下して杉野川を合わせ、最後は東から来る姉川に合流して、琵琶湖へと流入する。全長40キロあまりの清流である。
姉川に対して妹川と呼ぶこともあるらしい。
そういえば、石道寺(しゃくどうじ)と渡岸寺の観音さまを姉妹にたとえることがある。姉と妹という比喩は、親しい対象をいっそう身近な存在に感じさせる不思議な言葉であるようだ。
その高時川がいよいよ琵琶湖の近くまで流れて来て、木之本町、高月町の境のあたり、今回紹介する尾山(おやま)釈迦堂、石道寺、高野(たかの)大師堂がある。
交通は、北陸本線の高月駅と木ノ本駅にレンタサイクルがあるので、便利(アシスト付きもあり)。
尾山釈迦堂と高野大師堂の拝観については、事前申し込みが必要。問い合わせ先は奥びわ湖観光協会。
尾山釈迦堂について
筆者は高月駅からレンタサイクルで行ったのだが、15~20分くらいだった。
高月駅から見るとほぼ北の方角となる。
県道281号沿いにあり、立法寺というお寺の西に尾山釈迦堂の看板が出ている。白山神社の鳥居があり、そこから入る。
拝観料は200円。
このお堂はもとは安楽寺という寺の一部で、己高山(こだかみやま)の山岳寺院の里寺だったと考えられている。まわりの林となっているところにも、かつてはお堂が建ち並んでいたらしいが、いつの頃からか釈迦堂のみが残り、そのお堂も老朽化して、立て直され、収蔵庫となっている。
正面向かって右に釈迦如来坐像、左に大日如来坐像、そのほか小さな仏像や破損仏が左右のケース内におさめられている。
尾山釈迦堂の釈迦如来像
釈迦如来像は像高は150センチあまり。針葉樹材の一木造。脚部はいかにも小さめでバランスが悪いが、これは後補である。
頭部は地髪部を広くとっていることもあり、大きく感じられる。目の見開きは大きく、鼻も大きい。威厳に満ちた表情はとても魅力的である。
上半身はたくましく、衣の襞も肩や腹部でなかなか鋭い彫技を見せる。しかし全体的には穏やかさも見られ、左胸のところにある渦巻きの文も形式化が進む。
平安前期から中期にかけての如来像の大作といえる。
石道寺の十一面観音像
尾山釈迦堂より東へ500メートルくらい行くと、井明神橋で高時川を渡る。さらに東北東へと数百メートル進めば石道寺の駐車場に至る。
中世の史料に「己高山五箇寺」とあり、その中の一寺である石道寺の後身のお寺である。
本尊の十一面観音像は、湖北地方の観音さまを代表する美しい像のひとつとして知られ、大変人気がある。
厨子中に安置され、すぐ前からよく拝観させていただける。
像高170センチ余り、一木造で材はケヤキといい、内ぐりもない古様なつくり。下地の白い色がよく残る。かれんで清楚な雰囲気だが、同時に堂々として、大きく感じられもする。
丸顔、目鼻は中央に集まる。なで肩で顔は小さく、下半身は長い。衣の襞の彫りは浅い。
厨子内、向かって右側に安置されている十一面観音像も平安時代の像。像高1メートル余りと小ぶりで、胴のくびれを強調している。
厨子の左右奥に安置される二天像(持国天像、多聞天像)は玉眼が入り、鎌倉時代の像と思われる。像高は180センチを越える。地方的な素朴さを感じさせる像である。
拝観料は300円。
高野大師堂について
高時川にかかる井明神橋から石道寺の方には行かず、県道332号を南へと進み、数百メートル先、最初の十字路で左折(東へ)。その道を突き当たりまで行くと、高野神社に至る。その境内には、もと満願寺の薬師堂と慈恵大師像をまつる大師堂がある。
尾山釈迦堂と同様に、天台宗系の己高山を中心とする寺院群のひとつであったらしい。
ところで、ここに至る坂道の途中に「国宝伝教大師像」と書かれた立派な石柱の脇を通る。その表示でわかるように、実は高野大師堂の慈恵大師像は、かつては伝教大師最澄の像としてまつられていたのである。
慈恵大師像はお堂の中央の壇上、厨子中に安置される。
堂内は明るく、近くよりよく拝観させていただけた。
拝観料は300円。
慈恵大師像について
慈恵大師というのは延暦寺中興の祖、良源のこと。正月3日になくなったことから元三大師、その他にもさまざまな呼び名があり、観音の化身だ、あるいは魔を払う強い力がある等といわれる。
良源への信仰は鎌倉時代後期に特に高まり、多くの像がつくられ、現在まで伝えられているものも少なくない。それらの多くは、上述したような信仰から、人間離れした顔立ち、すなわちゴツゴツとした凹凸や吊り上がったような目が特徴的であるが、本像は比較的穏やかな姿につくられている。
とは言ってもよく見ていくと太い眉、小さめながら太めの鼻、前をしっかりと見据える目つきなどやはり異相である。
ほおは豊かに膨らむということがなく、やや細身の老相という姿をあらわしたものであろうか。しかし額や首筋にはしわは刻まれない。
顔は小さめにして、上半身は高く、衣のひだも変化をつける。
膝頭をわずかに上げて座る体勢は自然である。
像内に鎌倉後期の1283年の年と仏師院信の名があると伝えるが、像底に板が貼ってあるために現在では見ることができない。調査の記録は伝わらず、詳細は不明である。もう少し早い時期の造像ではないかという意見もある。
像高は約75センチ。寄木造、玉眼。
さらに知りたい時は…
『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇』13、中央公論美術出版、2017年
「びわ湖・長浜のホトケたち」Ⅱ(展覧会図録)、長浜市発行、2016年
『近江の古像』、髙梨純次、思文閣出版、2014年
『元三大師良源』(展覧会図録)、大津市歴史博物館、2010年
「慈恵大師(良源)像基礎資料集成」1(『大津市歴史博物館研究紀要』16)、寺島典人、2009年
『高月町史 景観・文化財編』分冊2、高月町、2006年
『木之本の文化財』Ⅰ、木之本町教育委員会、2002年
『海の仏』、藤森武、東京美術、1998年
「滋賀・立法寺(尾山釈迦堂)釈迦如来坐像について」(『滋賀県立琵琶湖文化館研究紀要』4)、高梨純次、1986年