園城寺(三井寺)金堂の諸仏
外陣に立ち並ぶ各時代の仏像
住所
大津市園城寺町246
訪問日
2008年5月17日、 2015年1月17日
この仏像(大日如来像)の姿(外部リンク)
拝観までの道
園城寺(おんじょうじ)へは、京阪電鉄石山坂本線の三井寺駅で下車。仁王門までは徒歩10分くらい。
受付で拝観料を支払い、まっすぐに(方向としては西へ)進むと、金堂が見えてくる。
豊臣秀頼再建の大きな建物である。
拝観料
一般600円
園城寺の草創をめぐって
境内は広く、さすがに東大寺、興福寺、延暦寺とともに「天下四箇大寺」と称されただけのことはある。お堂からお堂へと巡っていくと、この寺のもつ歴史の重み、各時代時代で果たしてきたさまざまな様相がひしひしと胸に迫る。
園城寺は実質的には平安前期の円珍からはじまるが、奈良時代以前の瓦が出土し、前身となった寺院があったことは確かなようだ。
寺伝では古代最大の内乱といわれる壬申の乱で悲運の最期を遂げた大友皇子の子によって創建されたといい、本尊は百済からもたらされ、天智天皇の念持仏であった3寸の弥勒像(絶対秘仏で、長く直接拝んだものはいない)と伝える。また、園城寺の別名三井寺は、この時代の天皇が産湯を使った「御井」から来ているという。
このように、古代の天皇家とつながる伝承をもつ園城寺だが、実際には渡来系の大友村主氏草創ともともいわれる。
拝観の環境
内陣は秘仏本尊をまつる空間で入れないが、その外側は平安時代から江戸時代まで各時代の仏像が大小40体ほども並んでいて、それぞれ間近に拝観できる。
仏像の印象
本尊のちょうど裏側の位置に安置されているのは、大日如来坐像である。
智拳印を結んだ金剛界大日如来で、もと境内の唐院長日護摩堂に安置されていたといい、像高は約95センチ、ヒノキの寄木造。
美しく流れる浅く刻まれた衣の襞(ひだ)の表現など穏やかで、平安後・末期の作と思われる。
顔はやや四角張り、仏の超越性よりは人間的な表情であるように感じられる。低く結われたまげはていねいに整えられている。膝の高さは低めだが、しっかりと左右に張って、安定感がある。
全体に調和のとれた優品である。
そのほかの金堂後陣の仏像からいくつかを紹介したい。
まず、毘沙門天立像は像高約1メートル。鎌倉時代らしい精悍でさっそうとした像である。
1メートル余りの大きさの宝冠釈迦如来坐像は、四角張ったややアクの強い像で、室町期の作と思われる。衣文に模様を盛り上げた彩色のあとが残り、かつての華やかさがしのばれる。
40センチ余りの比較的小さな阿弥陀如来坐像は、唯一ケース中に安置されている。一木造で、本堂外陣の仏像中もっとも古い像と思われ、平安前期の作である。手先は後補であり、本来の像名は不明。穏やかな顔つきにぼってりと太い胴、小さな脚部がバランスを欠くが、整っていない像容ゆえの魅力がある。
また、尊星(そんじょう)王像という聞き慣れない像が厨子に入って安置されている。北極星を神格化したもので、妙見菩薩の別名であるらしい。4臂で、月輪の上に片足で立つ不思議な姿勢をしている。この尊格を本尊とする修法は園城寺の秘法であったそうで、中世の画像が伝来しているが、この姿の彫刻は本像が唯一のものという。近世の作である。
このほか近世の円空仏(7躯)などもまつられている。
その他1(大門の仁王像)
園城寺の大門はもと甲賀の常楽寺の門として15世紀なかばにつくられ、一時伏見城内に移されていたものを徳川家康によって17世紀初頭に寄進されたものという。仁王像も15世紀なかばの作で、門とともに常楽寺、伏見城を経て、この地に移ってきたと考えられている。2メートル半をこえるなかなか雄渾な像で、そう見寺の仁王像とならんで県内の室町期の仁王像の代表作である。
その他2(大津市歴史博物館について)
園城寺の北隣りに大津市歴史博物館がある。仏像に関する企画展やミニ企画展もしばしば開催される。
さらに知りたい時は…
『三井寺 仏像の美』(展覧会図録)、大津市歴史博物館、2014年
『湖都大津社寺の名宝』(展覧会図録)、大津市歴史博物館、2009年
『国宝三井寺展』(展覧会図録)、大阪市立美術館ほか、2008年
「園城寺大門の仁王像」(『仏教芸術』201)、岩田茂樹、1992年4月
『秘宝 園城寺』、石田茂作、講談社、1971年