善水寺本堂の諸仏
失われた延暦寺根本中堂諸仏を彷彿とさせる
住所
湖南市岩根3518
訪問日
2015年4月25日
この仏像の姿は(外部リンク)
拝観までの道
JR草津線の甲西(こうせい)駅北口より湖南市コミュニティバス(「めぐるくん」)下田線(甲西町ルート、石部町ルート)またはひばりヶ丘線に乗車し、「岩根」または「善水寺」下車、北へ徒歩10~15分。
途中脇を通る観音堂は善水寺に属すお堂だが、かつては観音寺というお寺であったらしい。本尊の観音像は丈六の大きさで、お堂の扉口から金網越しに拝観できる。平安時代の像というが、やや大味で修理の手も入っているようだ。
このお堂のそばの巨石(かなり上方)には、不動明王像が刻まれている。近くには1503年を示す年記も刻まれているという。
観音堂からさらに上っていくと、まもなく善水寺の駐車場に出る。
バス以外の行き方としては、最寄り駅の三雲駅に常駐するタクシー。または、三雲駅のそばの接骨院でレンタサイクルを受け付けている(日曜・祝日は休み、また土曜日は14時まで)。
拝観料
500円
お寺や仏像のいわれなど
野洲川がつくる平地の北側の丘陵上にたつ天台宗の古刹。
市内の常楽寺、長寿寺とともに湖南三山といい、紅葉の名所として知られ、11月下旬にはこれらを結ぶシャトルバスが出る。
本尊の薬師如来像は秘仏で、納入品から10世紀の作であることが知られる貴重な作例である。
20世紀はじめの修理で、背刳りをした中から籾がいっぱいに入った麻袋が発見され、その中に結縁交名が納入されていた。端など傷んで失われた部分もあるが、もとは30センチ弱×40センチ弱、すなわちB4版かそれより少し大きいくらいのサイズの紙と思われ、僧俗合わせて10名以上の名前と993年を示す年が書かれていた。
拝観の環境
壇の前よりよく拝観させていただけた。
本堂内陣の仏像の印象
本堂は南北朝時代に建立された国宝建造物で、内陣と外陣をしっかりと区切った密教本堂の形態をしている。
外陣には一対の仁王像が立ち、内陣に入れていただくと、秘仏本尊の薬師如来像の厨子を中央に、その左右に梵天・帝釈天像、さらにその脇には四天王像が2躰ずつ、そしてその前に十二神将像が安置される。それほど広くない須弥壇上はこれらの像で埋め尽くされんばかりである。また、後陣にも仏像が安置され、拝観できる。
このうち、梵天・帝釈天像と四天王像、また後陣安置の僧形文殊像は本尊と同時期につくられた像と考えられている。
実は、10世紀前半に延暦寺の根本中堂が焼け、10世紀後半、すなわち善水寺諸像がつくられる少し前に慈恵大師良源によって根本中堂は再興されている。このときの安置仏が薬師、梵釈、四天王、文殊聖僧像の組み合わせなのである。もっとも再興された根本中堂は創建時よりも大規模となり、薬師像(立像)はセットで何躰も安置され、のちには十二神将や日光月光菩薩像も付け加えられている。そのような違いはあるにせよ、今は失われた平安時代の延暦寺根本中堂諸像を彷彿とさせる群像が善水寺に残っているわけで、その意味でも貴重である。
梵天・帝釈天像はほぼ直立しておとなしい感じだが、横から見ると腕から下がる衣は動きをはらみ、襞の具合などとても面白い。
四天王像は本尊に向かって右側に持国天と増長天、左側に広目天、多聞天が一列に安置されている(名称は寺伝による)。
持国天、増長天は動きも大きく、体躯も太づくりに、一方広目天、多聞天は動きも少なく、また体は比較的細くつくられている。体の動きも含めて対比を意識してつくられている様子がよくわかる。
さっそうとした増長天像、お腹や腰が限界まで太くつくられている持国天。とても魅力を感じる。
その前に並ぶ十二神将像は、寅神将像の像内墨書より1272年すなわち鎌倉時代後期の作であることが知られる。像高は1メートル内外で、寄木造、玉眼を入れる。ポーズに変化をつけて、それぞれ面白い姿だが、かなり破損が進む。修復のため浄財を募っていらっしゃった。
後陣・外陣安置の仏像
本堂後陣にも二天像、兜跋毘沙門天像、不動明王像、僧形文殊像など多くの仏像が安置されている。
二天像(持国天像、増長天像)は内陣の平安期の四天王と比べるときびきびとした動きがあって、鎌倉時代の特色を示す。
本尊の真後ろには不動明王坐像が安置される。どっしりとして、いかにも古様な感じ。この像も本尊と同じ頃につくられたと思われる。不動明王像の古例として貴重である。
兜跋毘沙門天像は顔つきがユーモラスで、厳しい顔立ちの僧形文殊像とまさに好対照である。
外陣の仁王像は像高約280センチ。大きな像だが、一木造でつくられている。やや腰高であり、雰囲気は比較的大人しい感じで、古様な仁王像といえる。
2015年の秘仏開帳について
本尊の薬師如来像は秘仏で、特に何年ごとといったきまりはなく、特別な年回りの時に開帳している。筆者が訪れた2015年の春、お寺の開創1300年を記念して開帳があった。14年ぶりということで、4月19日から6月14日までの2ヶ月弱の期間だった。
本尊像は一木造で、どっしりとした感じがある一方、表情はやさしく、落ち着いた雰囲気をもつ。像高1メートルほどの坐像だが、厨子中にあり、護摩壇ごしでやや距離があるため、実際より小さめな印象を受けた。ライトもあり、ういういしさが感じられる顔だちの像であることがよくわかった。
このほか、例年は4月の誕生会の前後のみ公開している銅造の誕生釈迦仏や、鎌倉時代前期の1206年の銘を持つ阿弥陀如来立像(信濃善光寺本尊のご分身という。普段非公開)もこの期間特別に公開され、本堂内でガラスケース越しに拝観できた。
この秘仏公開時の拝観料は700円だった。
さらに知りたい時は…
『最澄と天台宗のすべて』(展覧会図録)、東京国立博物館ほか、2021年
「善水寺蔵 木造四天王立像」(『国華』1407)、松岡久美子、2013年1月
「滋賀・善水寺四天王像について」(『栗東歴史民俗博物館紀要』7)、松岡久美子、2001年
『梵天・帝釈天像』(『日本の美術』375)、関根俊一、至文堂、1997年8月
「近江国善水寺の諸尊」(『滋賀県立琵琶湖文化館研究紀要』4)、宇野茂樹、1986年
『四天王像』(『日本の美術』240)、猪川和子、至文堂、1986年5月
『日本彫刻史基礎資料集成 平安時代・造像銘記篇』1、中央公論美術出版、1966年