そう見寺の金剛力士像
織田家の菩提寺を守る
住所
近江八幡市安土町下豊浦6367
訪問日
2009年1月17日
拝観までの道
そう見寺の「そう」は、てへんに「總」のつくりを書く。通常出てこない字なので、地図など「総見寺」と書かれていることもある。
拝観は、安土城跡の見学と共通である。地図を見ると、安土城への登り口は南側と西側の2か所あるが、そのうち西側(会勝寺のすぐ横)の入口は閉鎖されている。そこから東へ数百メートル先(安土城の大手門跡の近く)に拝観入口がある。
駅から徒歩約30分、または駅前にレンタサイクルがあるので、それを利用する手もある。
拝観受付で杖を貸してくれる。特に登り口のあたりでは石段の一段一段が高いので、侮らず杖を借りることをお勧めする。杖を使うとかなり違う。
登り始めると、石段の左右に武将の屋敷跡およびそう見寺の仮本堂がある(仮本堂は日・祝日のみ公開。ただし雨天時は非公開。江戸時代の信長像など安置。特別拝観料が必要)。
さらに登って行くと一番高いところ、すなわち城の本丸や天守があった一角へと入って行くが、その手前に仏足石が置かれている。深くくっきりと刻まれていて、室町時代のものだそうだ。
本丸跡から西側に下って行くと、そう見寺の本堂跡、三重塔、その下に仁王門がある。これらを拝観してさらに下り、東側へと進んで行くと最初の拝観受付に戻る。1周で1時間前後である。
拝観料
500円
お寺のいわれ
この寺は信長によって安土城につくられた寺院である。
安土城跡に登ると、石仏がそのまま石段に使われているのが見え、宗教、特に仏教を重んじなかった信長らしいと感じさせられるが、その信長がお寺をつくっていたというのは奇妙である。支配のため、また自らの神格化のために寺院をつくって利用しようとしたのであろうか。
お堂は一から造るのでなく甲賀地方より移して揃えたそうで、これも信長らしいというべきか。
そう見寺は、安土城が焼け落ちた時にも焼失を免れ、織田氏の菩提寺として存続してきた。本堂は江戸末期に焼けてしまったが、幸い三重塔と仁王門が往時の雰囲気を伝えている。
拝観の環境
金剛力士像は仁王門の左右の金網の中に安置され、すぐ前から拝観できる。
仏像の印象
仁王門は棟木に1571年に甲賀地方でつくられたことが書かれ、造られてまもなく移されてきたことがわかる。急坂の途中の狭い平地につくられているが、この場所にぴったりあった大きさの門が目を付けられて運ばれて来たのだろうか。
仁王像(金剛力士像)は門より早く、像内の銘より室町時代後半の1467年、仏師因幡院朝によってつくられたことがわかっている。
像高は2メートル強。ヒノキの寄木造。
安定した立ち姿の像である。顔や下半身はそれほど誇張せず、落ち着いた作風といえる。一方、胸板は重厚で、上半身の筋肉はかなり誇張的につくっている。
その他
門に立つ仁王像は風雨にされされるので、堂内の仏像よりも傷みが進むのはある程度やむをえないとは思うが、吽形像の右目などは相当傷んでいて心配である。
さらに知りたい時は…
『仁王』、一坂太郎、中公新書、2009年