波上山護国寺の聖観音像
戦後に兵庫県から移ってきた像
住所
那覇市若狭1-25-5
訪問日
2024年12月5日
この仏像の姿は(外部リンク)
波上山三光院護国寺 縁起/History
拝観までの道
波上山(はじょうさん)護国寺は、ゆいレールの旭橋駅より北西に徒歩約15分。
日中は本堂が開いており、拝観自由。
拝観料
特になし
お寺や仏像のいわれなど
真言宗寺院。14世紀後半に薩摩の真言宗寺院から遣わされた僧によって開かれ、かつては琉球王家からも厚く信仰されていた。また、隣接する波上宮という立派な神社の別当寺を近代の神仏分離までつとめていたという。
沖縄最古の寺は極楽寺(のち龍福寺)だが、現存しないので、この護国寺が現在まで続く沖縄でもっとも歴史ある寺院ということになる。
戦前までは虚空蔵菩薩像あるいは不動明王像を本尊としていたが、沖縄戦ですべての堂宇、仏像を失う。戦後復興されて、1970年代までに境内が整備された。本尊の聖観音立像は1950年代に兵庫県のお寺からもたらされた。
拝観の環境
本堂の壇に向い右手から近づいて拝観できるようにしてくださっている。
それでも拝観位置から若干遠目となり、一眼鏡のようなものがあるとよい。
2025年2月より1年半ほどかけて本堂の建て替えが行われるが、その間は仮本堂(護摩堂)にて拝観できるとのこと。
仏像の印象
本尊の聖観音像は鎌倉時代前期の作という。1990年代に修復され、青く塗られた髪以外、全身は金色に輝いている。
腰から下を長くとり、プロポーションがよい。頭部は斜め下にやや傾け、両手とも胸のあたりにあげる。腰はひねらずほぼ直立するが、右足は少しだけ遊ばせているようだ。
顔はやや四角張り、理知的で、落ち着いた雰囲気である。目は少し釣り上がり気味にし、口もとは引き締める。
腰布を付けているらしい。この腰布や裙の折り返しのところは変化がついて面白いが、その下の膝のあたりの衣のひだは省略気味に作られている。
その他
護国寺の聖観音像は戦後本土からもたらされたものだが、では戦前、ことに琉球王国時代からの仏像はというと、沖縄戦のためにほとんど現存せず、わずかに伝えられているものも一般公開されていない。
15世紀に琉球王家によって首里城の北につくられた円覚寺にあった仏像も戦争で被災し、残欠の状態となってかろうじて伝えられている。現在は「円覚寺関係木彫資料」として沖縄県立美術館・博物館に収蔵されているが、常設展示はされていない。
また、浦添市にある王墓、浦添ようどれの石厨子(石棺)4基(16世紀ごろ)には仏像の浮き彫りがほどこされており、写真を見ると実に見事なものであるが、一般公開はされていない。近くの浦添グスク・ようどれ館(ゆいレール浦添前田駅下車、北西に徒歩約10分。または琉球バス「仲間」バス停から徒歩約5分)には1号~3号石厨子のレプリカが展示され、間近で見ることができる。また、沖縄県立博物館・美術館の博物館常設展示室でも1号石厨子のレプリカが展示されている。
さらに知りたい時は…
『琉球沖縄仏教史』( 琉球弧叢書35)、知名定寛、著榕樹書林、2021年
→ 仏像探訪記/沖縄県