東本願寺の阿弥陀如来像
鎌倉時代前期の貴重な基準作
住所
台東区西浅草1-5-5
訪問日
2008年2月3日、 2016年5月3日
この仏像の姿は(外部リンク)
拝観までの道
地下鉄銀座線の田原町駅下車、西北に徒歩5分ほど。
本堂の拝観は日中ならば自由にできる。(ただし、法要のない平日など、お堂の内陣を閉めてしまうこともあるようだ)
拝観料
特に拝観料等の設定はなかった。
お寺や仏像のいわれなど
東本願寺は浄土真寺院。江戸幕府開創に先立つ1591年に設けられたという。
もっとも、同年に三河より同じ浄土真宗寺院である徳本寺が江戸に移って来ており、東本願寺はもともと徳本寺と一体で、のちに分れたともいうが、その間の詳しい事情はわからないことが多い。
東本願寺、徳本寺はともに神田にあったが、のち江戸幕府によって今の西浅草の地に移された。徳本寺は現在も東本願寺のすぐ前にある。東本願寺の本尊はもともとは徳本寺の本尊であった仏像であるという。
東本願寺はもと光瑞寺といい、のち浅草本願寺、東京本願寺と寺名を変え、現在は東本願寺と称している。本堂はたびたび火災にあい、現在の建物は関東大震災後の再建である。
拝観の環境
本尊の阿弥陀如来像は、本堂奥の宮殿(くうでん、厨子のこと)内に安置されている。
拝観は日中であれば自由にできる。焼香台のところからの拝観で、本尊までの距離はかなり遠く、肉眼では限界がある。
仏像の印象など
像高1メートル弱の立像。いわゆる3尺の阿弥陀像である。ヒノキの寄木造。玉眼。
顔つきは、丸く円満な相のうちにきりりと引き締まったようにつくられた目鼻がすがすがしい。額をやや広くとり、髪は若干かぶさるようにつくられている。
衣の表現には堅実な中に装飾性があり、左肩で折り返される衣や、胸の下で下着のひもの結びを見せているところなど、豊かな表現がある。腹部の(ひだ)も細かく表されている。
1990〜91年に解体修理され、その際像内から銘札が見つかった。それには鎌倉前期の1226年の年と、「四天王寺宝塔之心柱切」「三尺阿弥陀仏御衣木」という文字が書かれている。四天王寺とは聖徳太子創建と伝える大阪の四天王寺のことと思われ、心柱とあるのでおそらく五重塔の中央の柱のことであろう。御衣木は「みそぎ」と読み、仏像に用いられる木材のことをいう。三尺は1メートル弱の長さであるので、この阿弥陀像のことを指し、その用材は四天王寺の心柱の一部であったものという意味にとれる。
四天王寺の五重塔は平安中期の960年に他の堂宇とともに焼けたが、11世紀には再建されており、鎌倉初期の1201年には修理供養が行われていることが知られる(この塔も安土桃山時代に焼失してしまう。現在の塔は戦後の再建で、何と8代めのものなのだそうだ)が、その修理の際に交換された木材がこの仏像に使われたということなのかもしれない。焼け残った大仏殿の柱を用いて仏像を作った例など、著名な堂塔の材を転用して仏像をつくる例はほかにもある。
いずれにしても、この仏像は特別の由緒をもった像としてつくられたものである可能性がある。
さらに知りたい時は…
『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇』4、中央公論美術出版、2006年
「東京本願寺阿弥陀如来像について」(『MUSEUM』515)、山本勉、1994年2月
『真宗重宝聚英』3、同朋舍メディアプラン、1989年
『東京都の文化財』三、東京都教育委員会、1986年