會津八一記念博物館の菩薩立像
谷崎潤一郎、志賀直哉旧蔵の仏像
住所
新宿区西早稲田1-6-1 早稲田大学早稲田キャンパス内
訪問日
2019年12月7日
この仏像の姿は(外部リンク)
早稲田大学文化資源データベース・菩薩立像
館までの道
會津八一記念博物館は早稲田大学早稲田キャンパス内にあり、最寄り駅は東京メトロ東西線早稲田駅。
2号館という建物の中にあり、正門、南門いずれからもすぐ。たいへん趣のある戦前の建物で、かつては図書館だったそうだ。
4つの展示室からなり、1階の會津八一コレクション展示室、富岡重憲コレクション展示室、近代美術展示室、そして2階のグランド・ギャラリーである。
年間数回、企画だてて展示が行われている。原則水曜日休み。展示替えの期間と、2月、8月にまとまった休館がある。
*早稲田大学會津八一記念博物館
入館料
無料
館のいわれなど
會津八一は20世紀に活躍した美術史家、歌人。早稲田大学で教鞭をとった。
早稲田大学に會津八一記念として博物館が開かれたのは1998年のこと。八一が偉大な学者、教育者であったことはもちろん、早い時期から大学内の博物館の必要性と説いた先見性、そして実際にこの博物館のコレクションの中核が八一によって蒐集された東洋美術であることから名付けられたものと思われる。
展示室の名前に冠されている富岡重憲は、日本重化学工業という会社の社長だった方である。美術品のコレクターとしても知られ、自身が集めた美術作品を公開する美術館をつくりたいと考えていたが、開館をみることなく亡くなった。大田区山王の閑静な住宅街に富岡美術館が開かれたのは、氏の死後ほどなくしてである。
畳敷きの落ち着いた雰囲気と禅画や陶磁器などのすぐれた収蔵品が魅力の美術館だったが、2004年に運営財団が解散し、四半世紀の歴史はあっけなく幕をおろした。その際、コレクションのすべては早稲田大学に寄贈され、會津八一記念博物館に引き継がれることになった。
鑑賞の環境
富岡重憲コレクション展示室で常設展示されている菩薩立像は、ケースなしでの展示。よく鑑賞できる。
仏像の印象
像高は約1メートルの立像。一木造で材はヒノキという。平安時代中期から後期頃にかけての作と思われる。
ややずんぐりとした印象で、見開きの大きな目が印象的である。冠、まげ、天冠台、あまりひだを刻まない衣など、素朴さが感じられる。顔はやや四角張り、眉はしっかりとつくり、唇は薄い。
お腹をやや出し、右肩を少し後ろに引いて、左ひざを前に出して動きをあらわす。
腰から紐の先が左右に出ているのは面白い。
この像にふさわしく思える古式な板光背がついているが、高さがやや合っていない。別の仏像からの転用であろうか。
本像の来歴について明らかになったのは、2011年のことである。
といっても、本来の安置寺院や尊名等は知られない。
分かったのは20世紀の前半、奈良市内の骨董品展で売りにだされていたものを文学者の谷崎潤一郎が購入し、その後志賀直哉に譲り、戦後志賀の手を離れて別のコレクターを経て、富岡氏のコレクションとなったという経緯である。
なお、志賀はこの仏像を奈良市内の自宅(現在は志賀直哉旧宅として公開されている)の2階の床の間に安置していた。仏像は左腕が失われているが、谷崎のもとにあった時には後補の腕がついていたものを、志賀はこれを嫌ってとってしまったという逸話がある。また、谷崎は像に毎日茶湯をささげていたが、志賀はあくまで美の対象として見ていたため、そうしたことは行わなかったということだ。
その他(センチュリーミュージアムの仏像展示)
早稲田大学早稲田キャンパス正門から東へ徒歩約3分、地下鉄早稲田駅からは北へ徒歩約5分のビル内にセンチュリーミュージアムという美術館がある。
旺文社を創立した赤尾好夫のコレクションを保存、展示する美術館で、ことに古筆の名品が揃うことで名高い。年間数回テーマを定めて展覧会を行っているが、中国、朝鮮、日本の仏像彫刻十数点は常設展示されている。珍しい中国の木彫の菩薩立像、新羅時代の大きな鉄製の仏頭、激しい動きを見せる平安時代の天部像などを鑑賞することができる。
*センチュリーミュージアム ホームページ
さらに知りたい時は…
『朝日新聞』2011年09月21日(夕刊)
「志賀直哉旧居と谷崎潤一郎の観音像」(『白樺サロン』1)、梁瀬健、2008年
『富岡重憲コレクション名品図録』、早稲田大学會津八一記念博物館、2004年
→ 仏像探訪記/東京都