円融寺の仁王像
16世紀なかば、鎌倉の仏師によって造られた像
住所
目黒区碑文谷1-22-22
訪問日
2017年12月25日
拝観までの道
東急目黒線西小山駅下車、西へ徒歩約15分。
仁王像は仁王門内に安置され、自由に拝観できる。
拝観料
特に拝観料等の設定はなかった。
お寺や仏像のいわれなど
平安時代に天台宗寺院として創建され、鎌倉時代から江戸時代前期までは日蓮宗寺院として法華寺と称した。日蓮宗の中でも江戸幕府によって弾圧された不受不施派の主張をとったため取り潰しに至り、天台宗に復して存続が許されたとのこと。
円融寺の名称となったのは江戸時代後期のことという。
本堂(釈迦堂)は室町時代につくられ、東京二十三区内有数の古建築として知られる。
拝観の環境
門の前面と内側がガラス張りになっていて、そこから見ることができるが、日中は背景が映り込みでよく見えない。中にライトがつけられていることもあり、夕刻になると比較的よく見ることができる。
仏像の印象
像高は各2メートル余。寄木造で、樹種はマツではないかとされる。
仁王像の肌は一般に朱であらわされるが、この本像は黒漆塗りで、「黒仁王尊」と呼ばれ、江戸時代には大いに信仰を集めたのだそうだ。
本像の魅力は、力強さと諧謔味の面白みであろう。
顔は小さく、そこに目、鼻、口、耳がとても大きくつくられている。向かって右の阿形像の顔つきは迫力に富む。吽形像はとても大きな鼻や四角いあごが面白く、親しみを感じる。
胸はあばらが浮き、手足はとても大きい。下肢の衣は形式化しながらも、力強くつくる。
1968年に修復され、その際像内から長さ70センチほどの木札と像内銘が発見された。それによれば、制作年は1559年。翌年の1560年が桶狭間の戦いであるので、室町時代も最末期の時である。仏師は鎌倉・扇谷在住の権大僧都大蔵法眼とあり、願主はこのお寺が日蓮宗寺院・法華寺の時代の第8代であった日厳であると知られた。
さらに知りたい時は…
『目黒区の指定文化財』、目黒区教育委員会、1979年
『略縁起碑文谷仁王』、富岡丘蔵、碑文谷仁王講、1968年