保元寺の金銅仏
高麗よりもたらされた菩薩立像
住所
台東区橋場1-4-7
訪問日
2010年5月23日
この仏像の姿(外部リンク)
拝観までの道
保元寺(ほげんじ、ほうげんじ)は隅田川西岸にある古刹で、浅草駅からだと北北東へ、南千住駅からだと南南東へ、それぞれ徒歩20分くらい。
最寄りのバス停は都バス東42甲系統で「東浅草」、または東42乙系統で「東京都人権プラザ前」になる。
→ 東京都営バス
法事等入っている場合は拝観できないので、事前に電話予約してうかがうとよい。
拝観料
志納
お寺のいわれ
奈良時代後期の創建、もと石浜道場といい、12世紀半ばに当時の元号をとって保元寺と名乗ったと寺では伝える。
保元寺のある隅田川下流西岸は、古くより交通の要衝であったようで、歴史の中にたびたび登場する。
ここより隅田川を2キロほど下った駒形は、浅草観音が引き上げられた場所と伝えられているし、保元寺のあるあたりは「橋場」という地名であるが、ここは古くは隅田川の渡し場で、在原業平の「いざ言問わん都鳥」の古歌も詠まれたところという。さらに鎌倉時代には時宗の祖・一遍と、その足跡を慕った二世他阿もこの地を訪れている。
古来より栄えたこの地域の中で、保元寺は浅草寺とともに重要な位置を占めてきたのであろう。
かつては密教のお寺だったようだが、15世紀に浄土宗に転じた。江戸時代には「法源寺」と名乗り、広い境内を持ち、東側は門前町となっていたという。
近代以後は、関東大震災とその後の区画整理、さらに東京大空襲で大打撃を受けたが、寺域を狭めながらも復興を果たした。
拝観の環境
高麗の金銅仏は、本堂正面に向って左側に厨子に入って安置されている。間近でよく拝観できる。
仏像の印象
台座から冠までの全高が約45センチの立像。
蓮華座の下が6角形の台座となっていて、その前面の3面に縦に銘文が入っている。引っ掻いたような文字だが、その中に「高麗国」「弥勒寺」「海月光大明(かいがっこうだいみょう)菩薩」などが見られ、この像が高麗(10〜14世紀の朝鮮半島の王朝)の仏像であることがわかる。
「海月光大明菩薩」という名前は聞き慣れないが、『華厳経』の中に登場する菩薩だそうだ。日本でも東大寺を中心に『華厳経』がさかんに講じられたが、新羅や高麗でも『華厳経』は大いに流布し、その中で経典に説かれているこうした菩薩もつくられたのであろう。
その高麗の仏がどのような経緯でこの寺にまつられることになったのかは、明らかでない。
丸顔で、顔は大きい。立派な冠をかぶり、正面には化仏をつける。天冠台や胸飾りなどの瓔珞(ようらく)は玉を連ねた美しいもの。右手は花を掲げ、左手は腹の前に出す。腰は細く、ややひねって、それによって裙の紐の結び目が正面をわずかにそれるが、下半身はほぼ直立する。
「海に輝く月光」という名前の通り、とても美しい像である。
さらに知りたい時は…
『台東区の文化財』第6集、台東区教育委員会文化事業体育課文化財担当、1998年
『台東区の文化財保護』第2集、台東区教育委員会、1998年