上染屋不動堂と善明寺

  両寺の仏像拝観は11月3日に

上染屋不動堂奉安庫
上染屋不動堂奉安庫

住所

府中市白糸台1-11 (上染屋不動堂)

府中市本町1-5-4  (善明寺)

 

 

訪問日

2010年11月3日

 

 

 

上染屋不動堂への道

西武多摩線白糸台駅から北西に約5分、または京王線多磨霊園駅から北東へ約10分。交差点「不動尊前」のすぐ脇にある。

 

阿弥陀如来像は、毎年1月28日と11月3日の開扉(ただし雨天時はレプリカの公開となるらしい)。このうち11月3日は「東京文化財ウィーク」による公開である。拝観料は特に設けられていない。

「東京文化財ウィーク」は都内の文化財の一斉公開事業で、1998年から毎年秋の10月末〜11月初旬にかけて行われている。数百件もの文化財を公開する大きな催しである。

 

東京都生涯学習情報・東京文化財ウィーク情報

 

 

お堂や仏像のいわれ

不動堂は、近くにある上染屋八幡宮という神社が管理する。

近代の廃仏まで、不動明王を本尊とする玉蔵院というお寺があり、八幡宮の別当寺でもあった。その後身がこの不動堂らしい。

 

この仏像は、里見義胤という武将の念持仏であったと伝える。1333年、新田軍に属して鎌倉攻めに加わった義胤は、阿弥陀像を奉じて戦いに臨んだといい、のちにその仏像は玉蔵院にまつられた。

玉蔵院が廃寺になると仏像も一時は行方不明となっていたが、徳川本家を継いだ家達(いえさと)の手に渡り、玉蔵院の後身である不動堂に納められた。

 

 

不動堂の阿弥陀像の印象

阿弥陀如来像は、不動堂境内の奉安庫に安置されている。

正面からのみだが、すぐ前から拝観させていただけた。

 

像高は50センチ弱の立像。

銅造で、下げた左手は指2本を立てる。善光寺式の阿弥陀三尊像の中尊であったものと思われる。

鋳上がりは極めてよく、細部まで丁寧につくられている。肉髻は低い。顔つきは穏やかで、衣の流れも煩瑣でない。プロポーション、姿勢もよく、たいへん美しい像である。

背中側に銘文が彫ってあり、鎌倉中期の1261年に上野国(現群馬県)で造られたものとわかる。

 

善名寺
善名寺

善明寺と鉄仏

善明寺は、JRの府中本町駅から北に徒歩約3分のところにある天台宗の寺院。

このお寺には、2躰の鉄仏がまつられている。

もと、すぐ東側にある大国魂神社にあったそうだが、近代初期の廃仏に際してこのお寺に移されたとのこと。境内に入ってすぐ右側にある「金仏堂」に安置されている。

 

上染谷不動堂の像と同様普段は非公開で、「東京文化財ウィーク」中の11月3日に開扉するのを恒例としている。

お堂の扉口からの拝観。拝観料の設定は特にない。

 

 

善明寺の仏像の印象

お堂の中央に安置されている鉄造阿弥陀如来坐像は、像高約170センチ。現存最大の坐像の鉄仏である。

全体には茫洋とした印象で、顔は引き締まっていない感じからかえって親しみを覚える。

髪は顔にかぶさってくるようで、髪際はカーブを描き、肉髻は低い。

体は肥満し、衣文も鋭さがない。

左肩のところに銘文があり、鎌倉中期の1253年につくられたことがわかる。

 

その像の向って右側にはやはり鉄造の阿弥陀如来像が安置されている。

像高約1メートルの立像。大きな坐像の阿弥陀像の胎内仏とも伝えるが、不詳。坐像と比べると作風は異なり、こちらの方が精緻につくられている。

ただし、像までやや距離があるため、肉眼では細部まではよくわからない。

 

 

その他

上染谷不動堂の阿弥陀如来像のレプリカが、府中市郷土の森博物館で常設展示されている。

 

 

さらに知りたい時は…

『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇』9、中央公論美術出版、2013年

『関東の仏像』、副島弘道編、大正大学出版会、2012年

『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇』7、中央公論美術出版、2009年

『府中市の仏像』、斉藤経生、府中市教育委員会、1981年

『日本の鉄仏』、佐藤昭夫・中村由信、小学館、1980年

『あづまみちのくの古仏』、吉村貞司、六興出版、1978年

 

 

仏像探訪記/東京都