財賀寺の金剛力士像
平安後期を代表する仁王像

住所
豊川市財賀町観音山3
訪問日
2008年2月17日
拝観までの道
財賀寺(ざいかじ)は豊川市の北部、観音山の山裾にある古刹である。
豊川駅前と名鉄の国府(こう)駅(西口)を結ぶ豊鉄バス豊川北部線で「財賀口」下車、そこから徒歩20分から25分くらいで財賀寺の仁王門に着く。バスの本数は1日5往復。国府駅からは12分、豊川駅からだと30分くらいの乗車となる。
→ 豊鉄バス
「財賀口」で降りると、「財賀寺2キロ」と書いた案内板が見える。そこからほぼ1本道で分かりやすい。道は上り坂だが、ずっと舗装道路で歩きやすい。
拝観料
金剛力士像(仁王像)のみの拝観であればいつでも可。
無料だが、100円を入れると照明がともるようになっている。
お寺や仏像のいわれ
財賀寺は行基草創、頼朝再建と寺では伝えるが、実際のところは不詳である。三河の守護安達氏が整備したといわれる三河七御堂の中に財賀寺観音堂が入っており、中世には栄えた寺院であったらしい。元はさらに山の方にあったともいう。
戦国の世に入った15世紀末、この地域の有力武将であった牧野氏によって再建され、その後、今川氏、徳川氏によって保護を受けたというが、現在は仁王門、本堂などが残るばかりである。
仁王門は牧野氏の時代の再建と考えられている。本来2層の楼門であったらしいが、1階だての八脚門となったのは、資金難のためでもあろうか。それ以前の門の古材も生かして再建されているそうだ。中世らしい力強さがある門である。
左右に金剛力士像が安置されているが、非常に大きな像で、門にやっとおさまっているという感じである。文化財指定を受けている仁王像としては東大寺南大門の仁王像に次ぐ大きさだそうで、像高は3メートル半を越す。平安時代後期の金剛力士像の代表作である。
拝観の環境
すぐ近くまで寄って拝観できる。前述のように、100円で明かりがつくので、細部までよくわかる。
仏像の印象
ヒノキの寄木造で、木の組み方は整然としているそうだ。
腹部に太い縄状の帯を締めている。正面から見た感じは、体をくの字に曲げるが、動きは大きくなく、安定感がある。内側の足を横に出し、上半身はほぼまっすぐ前を向くが、顔は大きくひねって内側を向いている。顔は激しく凹凸をつくり、構成する各部分が中央に集まっていてユーモラスですらある。特に吽形像の表情は豊かである。
近年大修理を受けたとのことで、よく見ると修理の痕がわかる。ご住職にうかがったところ、修理直後は目立たないよう着色がされていたのだが、風雨にさらされて落ちてしまったとのこと。お堂の中にある仏像に比べ、門に立つ仁王さんの日々は厳しいのである。役目とはいいながら、仁王さんはよくぞ900年もの間こうして立ち続けてくださっているものだなあと改めて思う。
その他
本堂の拝観を希望する場合は、事前申し込みが必要。2名以上なら受け付けてくださる。
→ 財賀寺本堂の宝冠阿弥陀像の項をご覧ください。
さらに知りたい時は…
『日本美術全集』4、小学館、2014年
『愛知県史 別編 文化財3 彫刻』、愛知県史編さん委員会、2013年
『仁王』、一坂太郎、中公新書、2009年
『新編豊川市史 第5巻(資料編、原始・古代・中世)』、豊川市、2002年
『解説版 新指定重要文化財3、彫刻』、毎日新聞社、1981年