龍照院の十一面観音像
毎月18日に開扉、ボランティアガイドが活躍

住所
蟹江町大字須成字門屋敷上1364
訪問日
2007年11月18日
この仏像の姿(外部リンク)
拝観までの道
蟹江町は名古屋市に隣接し、港町として発展した低地の町である。
竜照院(龍照院)は町の北部にある。
名古屋駅からJR関西線で約10分、蟹江駅で下車し、北西に徒歩15分くらい。特に案内の看板等はなく、途中やや細い道を通るので、事前に地図の準備は必要である。
この寺に伝わる十一面観音立像は、かつては60年に一度開扉という秘仏であったというが、現在は毎月18日に開帳されている。
町の歴史民俗資料館が中心となってガイドボランティアが養成され、18日の10時から15時までの時間、寺につめて参拝客のガイドを担当している。大変熱心にご説明くださり、またスムーズに拝観できるので、ありがたい。
拝観料
拝観料やガイド料といったものは特にない。
仏像のいわれ
1931年にこの仏像の修理が行われた際、像内より墨書銘が見つかった。それによると、常楽寺という寺の像として源平動乱期の1182年に多くの人々の結縁によって造られ、仏師は教円とある。教円についてはこの像の作者であるという以外知られるところはない。
寺伝によれば、常楽寺はもともと竜照院の本寺であったが、信長の死後、秀吉と徳川家康・織田信雄が戦った蟹江合戦で焼かれて、竜照院とこの仏像がかろうじて残ったという。
拝観の環境
十一面観音像が安置されている収蔵庫は、本堂裏手に建つ新しい建物で、車椅子の方にも対応できるようスロープもつけられている。
ガイドさんの案内で中に入ると仏像との間はガラスで仕切られているが、扉を閉めていただけるため、外光がガラスに映し込まれることなく、よく拝観できる。側面等からの拝観ができないのは残念であるが、保存と公開の両立ということを考えると、すぐれたあり方であると感じた。
仏像の印象
像高約170センチとほぼ等身大の立像である。材はヒノキで、体幹部は一木より彫り出し、背中からくりを入れている。素地をあらわし、落ち着いた印象である。
破綻のないバランスのよい像で、顔はあくまで穏やかであり、下半身は細身で衣の襞(ひだ)も誇張がない。腰をわずかにひねり、右足をやや浮かせているが、これも自然な動きである。この時代の人々が好んだ優しく安定感のある像である。
一方、上半身はなかなかゆったりとつくり、くっきりと腰のくびれを入れていて、メリハリもある。またスリムに見えた下半身だが、写真で見ると側面からはどっしりとした印象である。一見すっきりとした印象だが、さまざまな要素をもつ、魅力ある像であると思う。
頭上面、両手先、両足先、垂下する天衣(てんね)、台座、光背は後補。
なお、『運慶と鎌倉彫刻』(小学館)の中で、鎌倉彫刻の先駆となる新傾向の像のひとつとしてこの仏像は紹介されている。
その他
龍照院に隣接する冨吉建速(とみよしたてはやあ)神社本殿・八劔社(はちけんしゃ)本殿(室町時代)も毎月18日に公開されていて、ボランティアガイドさんに案内していただける。
さらに知りたい時は…
「ほっとけない仏たち」(『目の眼』483)、青木淳、2016年10月
『愛知県史 別編 文化財3 彫刻』、愛知県史編さん委員会、2013年
『鎌倉時代の彫刻』(展覧会図録)、東京国立博物館、1976年
『運慶と鎌倉彫刻』(ブックオブブックス 日本の美術12)、水野敬三郎、小学館、1972年
『日本彫刻史基礎資料集成 平安時代・造像銘記篇』4、中央公論美術出版、1967年