禅源寺の阿弥陀如来像
修復によって力強い造形がよみがえった
住所
稲沢市稲葉1−6−2
訪問日
2010年2月21日
この仏像の姿(外部リンク)
拝観までの道
禅源寺は名鉄名古屋本線の国府宮(こうのみや)駅下車、駅の北側の踏切から西へまっすぐに徒歩20分ほど。高校や短大のある静かな一角にある。
別の行き方としては、国府宮駅から矢合(やわせ)観音前行きの名鉄バスに乗車し、「中本町(なかほんまち)」で下車、徒歩5分。
→ 名鉄バス
拝観は事前連絡必要。
拝観料
志納
お寺や仏像のいわれ
草創は南北朝時代とされるが不詳。室町時代中期の史料に禅源寺の名前が見えるころから、その頃までには創建されていたとされる。
江戸時代には格式ある禅寺であったらしく、葵の紋の使用を許されていた。みごとな松並木の参道があり、また、本堂前には小さいながらも風格ある勅使門(江戸時代)を備える。本堂内では、かつて使用されていた輿や、朝鮮通信使の一員の書になる「禅源寺」の額も見ることができる。
本堂は1891年の濃尾地震後の再建で、本尊は観音、雨宝童子、龍王の三尊という珍しい組み合わせ。
阿弥陀如来像は本堂の脇の間に安置される客仏で、近くのお堂に伝来し、近代初期の廃仏の難を逃れてこのお寺に移されてきたそうだ。
拝観の環境
堂内は明るく、近い位置から大変よく拝観させていただける
仏像の印象
像高は140センチ弱の坐像。半丈六像である。ヒノキの寄木造。
かつてこの像は、後補の黒い漆の仕上げがされていた。お寺でいただいたパンフレットに載る写真を見ると、この像は全身真っ黒で、重厚な感じの仏像だったようだ。
ご住職のお話では、もともと街道のお堂にあって保存がよくなく、さらに戦中には防空壕に入れたために劣化が進んだので、戦後に地元で修復を行ったとのこと。
近年、再度の修復をすることになり、今度は京都の修理所に出したところ、像の表を覆っていた後補の漆塗りが取り除かれて、以前のような黒い均一な表面ではなくなった。
後補部分は取り除くというのが、文化財修復において基本的な考え方となっている。傷んで表面がまだらになってしまったのできれいに整えた、これが修復であるというのが一般的な感覚であろう。しかし今日の文化財修復では、しばしば逆のことがおきる。この仏像の場合もかえって表面がまだらな感じとなったわけだが、近寄ってじっくり拝観させていただくと、鎌倉の彫刻の力強さが直接伝わってくる。横顔も張りがあって若々しく、すばらしい。
特に印象的なのは目で、つり上がるようにして、強いまなざしを刻んでいる。上半身は大きくたくましい。脚部は低めではあるが、近づいてみると足をぐっと左右に張り出して、みごとな形をつくっている。衣の線はきれいに流れるが、その襞(ひだ)は平安後期の像のそれに比べて若干深く、陰影が美しい。
その他
脇にやはり客仏で、小ぶりな阿弥陀如来坐像、釈迦如来坐像も安置されている。
さらに知りたい時は…
『愛知県史 別編 文化財3 彫刻』、愛知県史編さん委員会、2013年
『新修稲沢市史 研究編2 美術工芸』、新修稲沢市史編纂会事務局、1979年