普門寺の2躯の如来坐像
年2回、収蔵庫を開扉
住所
豊橋市雲谷町字ナベ山下7
訪問日
2007年11月3日
この仏像の姿(外部リンク)
拝観までの道
普門寺は愛知県豊橋市の古刹である。東海道線の新所原駅から北北西に約3キロ、35〜40分ほど歩いたところにある。バスの便はない。駅前にタクシー乗り場があり、タクシーが常駐している。
以前は年に2回、4月なかばの日曜日(新緑祭り)と11月末から12月初旬にかけてのもみじ祭中の土日に収蔵庫が開かれていた(9時30分から15時)が、5月、11月の祝日に移動しているようだ。(拝観料500円)
お寺のホームページ参照のこと。
お寺のいわれ
今では町外れであるこの場所は、かつては海に近い湿地帯を避けて、北側を迂回する重要なルート沿いであったらしい。
草創は、寺伝では奈良時代の行基によるというが、11世紀以前のことは模糊としている。1127年の年記のある経典や12世紀ころと考えられる仏像が伝来していること、1156年の銘のある経筒が出土していることなどから、12世紀には栄えた寺院であったと考えられる。
しかし、交通の要衝に位置するということは、戦乱の時代には戦火に巻き込まれやすいということでもある。戦国時代には、今川氏と松平氏の戦いによって全山焼失した。その後今川氏、そして徳川幕府により保護され、愛知県東部地域の主要な7寺院(三河七御堂)のひとつとして、信仰を集めたという。なお、かつて寺は山上にあったが、江戸時代中期に現在地に移ってきた。
近代に入ると鉄道や主要道路から外れた僻地となり、戦後の農地改革も打撃であったらしい。
1970年代になって、収蔵庫が建設され、主要な仏像も修理された。
拝観の環境
収蔵庫に入ると、正面には2躰の如来坐像、その左右に四天王像が2躰ずつ、計6躰の仏像が一列に並んでいる。
中は明るく、また後ろ・横からは無理だが、斜め前に立てば像のボリューム感がよくわかり、じっくりと拝観できる。
仏像の印象
2躰の如来像は、共に像高約140センチの半丈六像で、平安後・末期に典型的な定朝様式の仏像で、浅く刻まれた衣の襞(ひだ)の曲線が大変優美である。右肩には衣を浅くのせている。
向って右側に安置されている仏は阿弥陀如来像で、手を膝の上で組んでいる。平等院鳳凰堂の本尊と同じ印の形で、阿弥陀の定印である。
左側の仏は右手は胸の前に上げて手のひらをこちらに向け、左手は手のひらを上に向けて膝上におく。これは施無畏(せむい)与願印といい、さまざまな如来像で表される印相である。寺ではこの仏を釈迦如来像と伝えている。
しかし、この2躰の仏像は、よく見るとさまざまな違いがある。釈迦像の方がプロポーションがよい。背筋はよく伸び、両膝はぐっと左右に張り出し、螺髪(らほつ)も小ぶりである。定朝様式のお手本という印象である。一方阿弥陀像は顔が大きく、首は逆に細い。頭頂部や螺髪はやや大きくつくられている。背筋は丸く、肉付きがよい感じである。
像高もほとんど同じであり、ともに割矧(わりは)ぎ造。樹種は、阿弥陀像はヒノキだが、伝釈迦像はカヤと思われる(ヒノキとカヤは木目が極めて似ているため、肉眼で見分けることが難しい)。また、台座の形も同じである。しかし、細かな作風の違いから、制作年代が若干異なる可能性も否めない。
両像の台座は、多くの仏像に見られる蓮の台座でなく、八角形の台座の上に裳をかけた珍しい形式のものである(八角裳懸座)。一部後補のところや、2つの台座で部材が取り違えられている可能性があるが、台座にかけられた裳の上に仏像の衣の裾がさらにかかり、美しい模様をつくっている。特に阿弥陀像では、右足からの裳と左足からの裳が重なり合いながら台座の端へと流れ、垂下していく線の連なりが魅力的である。
2躰の如来像の左右に安置されている四天王像も、ほぼ同じ頃の作である。ヒノキの一木造。
忿怒を表した顔つきや動きのある体つきはややぎこちなく、地方的な造像であるように思う。下半身は、前からは中肉に見えるが、側面観はボリュームがある。
なお、それぞれの像が四天王のどの天であるのかについてはいくつか説があるようで、寺伝と文化財指定時では像名が異なるが、寺伝多聞天像(指定名では持国天像、左手に後補の宝珠を捧げるが、もとはこれが宝塔だったと思われ、寺伝のように多聞天でよいと思われる)の作風が他と若干異なり、早い成立ではないかとする意見もある。
その他
本尊は近世の聖観音立像、通常非公開
さらに知りたい時は…
『みほとけのキセキ』(展覧会図録)、みほとけ展実行委員会、2021年
『愛知県史 別編 文化財3 彫刻』、愛知県史編さん委員会、2013年
『見仏記 ぶらり旅篇』、いとうせいこう・みうらじゅん、角川書店、2013年
『豊橋の寺宝Ⅱ 普門寺・赤岩寺展』(展覧会図録)、豊橋市美術博物館、2002年
『仏像を旅する 東海道線』、清水真澄編、至文堂、1990年